先週からの
怒涛のようなスケジュールが
本日、無事 完結しました。
16日は女性消防クラブの視察研修で
函館市の水産加工場を視察。
その後、懇親会があり
各地域の女性消防クラブ員で結成する
連合会の方々と、ゆっくりお話をする機会が
やっと巡ってきました。
春の総会の時には消防協会の地方支部会議と
重なってしまい、欠席とさせていただいたのが
ずっと心残りと言うか
就任挨拶もしないままになっていたので
今回、研修に同行させていただき
やっと、それが実現しました。
懇親会では、母のサークルの仲間がいたり
踊りのお友達がいたり
母の知人ばかりで
「うちの息子 よろしくお願いしますって 言ってたよ」
どのテーブルを廻っても、そんなことで声を掛けていただきました。
母の愛と偉大さを感じた日でもありました。
そして17日は翌日に迫った 北海道消防操法訓練大会出席のため
札幌へ移動し、先遣隊と江別の消防学校で合流
テントの準備と、ポンプ車を学校に預け
夜は、明日に迫った大会の英気を養うため
出場団員と指導者の職員
そして団長、消防長、俺の総勢13名で、焼肉
そこで、団員から今までの頑張ってきた自分たちの思いや
指導者や消防団幹部への感謝の気持ち
優勝を目指すと言う、強い意志
築き上げてきた仲間との絆
そして、昨日までやってきた訓練を
明日で終わらせたくない
全国大会へ駒を進め、もっともっと操法を磨き上げたい。
団員一人一人が、思いを語ってくれました。
大会は明日だと言うのに
みんなで、焼肉食いながら 泣きました。
男泣きとは まさにこのことだな、と思いながら
俺も、もらい泣きしてしまいました。・・・・・(T_T)/~~~oyoyo
結果は、優勝と言う目指してきた目標には届きませんでしたが
見事、優良賞を授与されました。
もちろん満足はしていません。悔しいです。
タイムも動作も完璧だと思っていたし
遠いところ大勢来てくれた、応援の方々にも
2年間やってきた成果をキッチリ見せることが出来た。
けれども
甲乙をつける大会において、何かが足りなかったんだと思います。
でも、優勝旗こそ掴めなかったけれど
このチーム北斗は もっと凄いものを
しっかりと既に手に入れていました。
何のために訓練をやるのか
何故 ポンプ車操法 という型にはまった動作が必要なのか
どうして、ホースを担ぎながら 指先を伸ばさなければならないのか
何故、2歩半なのか
急いでいるのに、どうして一回一回方向変換しなければならないのか
いろんな疑問を抱えながら2年間訓練に励み
その答えは、自分達自身で導き出してくれました。
それこそが、今回の大会に出場する意義
その為に訓練するという「目的」でした。
指導者と団員という垣根を越えた
消防団と消防署員のあるべき姿と言うものを
俺たちに示してくれました。
目標は果たせなかったけれど
目的は完璧に達成されていました。
本当に2年間お疲れ様でした
そして、優勝した平取消防団の操法・・・・・・お見事でした。
全国に北海道の名を轟かせてきてください。
消防団の頑張りを目の当たりにした翌日の
北海道救助技術訓練指導会
これは、また明日・・・・
この先にあるもの
公務員卒業
自分の気持ちを最優先に、この先のことは少しづつ考えながら
赴くままに生きてみたい。
2014年7月8日火曜日
涙
こぼれ落ちるその涙が
いつでも君の背中を押してる
悔しさ数えるたび強くなれる
FUNKY MONKEY BABYS 涙
最近、いろんな涙が話題になってる
大人になってから、人前で泣いたことがあっただろうか
嬉し涙
悔し涙
いや・・・・けっこう泣いてるワ (^^ゞ
悲しい涙は
親父が死んだ時が、最後かなぁ
あの時は、本当に泣いた 声を出して 鼻水を垂らしながら
親父が可哀想で
母親が可哀想で
この先の自分が不安で
どうしていいのか解らなくて
あとは・・・・
結婚式にも、俺はよく泣くなぁ
泣くと言うより、勝手に涙が出てくる
お涙ちょうだい的な、シナリオには
まんまとハマってしまう(^_^.)
映画を観てても泣いてるし
音楽を聴いただけでも涙が出てくる時もある
高校生の時はビートルズの曲で感動して泣いて
学校祭の時は、その曲を演奏してる自分に感動して
ドラムを叩きながら泣いていた(笑)
泣くのと、涙するのは チョットだけ違うような気がする
ただ、悔し涙だけは絶対に人前では見せない
オッカちゃんには、一度だけ見られたなぁ
しかも、仕事のことでだったような気がする
今となってはその理由さえも思い出せないほど小さなことで
当時の俺の心は折れたんだろうなぁ
そんなことを繰り返しながら
背中を押され、誰かに助けられ
少しずつ、少しずつ 強くなれたんだと思う。
次を見据えながら、上を向いて流す悔し涙は
見ていて感動する
特にスポーツの場面では
沸々とやる気が沸いてきたりする
最悪なのは、都合が悪くなって
取り乱しての号泣は、男女問わず見るに耐えない
笑うにも笑えない
涙を武器にして勝ち誇ってきた女を
俺は一人だけ知っている
その女の涙は
この世で勝るものがないほど最強で
即効性があり、おまけに持続性をも備えている
俺の心は 360度ぐらい 折れる
泣かせてしまったことを後悔し
自責の念に駆られる
28年前
「守ってやらなきゃ」 と、俺を勘違いさせた
その女は
今や我家の 女王の座に 君臨している
いつでも君の背中を押してる
悔しさ数えるたび強くなれる
FUNKY MONKEY BABYS 涙
最近、いろんな涙が話題になってる
大人になってから、人前で泣いたことがあっただろうか
嬉し涙
悔し涙
いや・・・・けっこう泣いてるワ (^^ゞ
悲しい涙は
親父が死んだ時が、最後かなぁ
あの時は、本当に泣いた 声を出して 鼻水を垂らしながら
親父が可哀想で
母親が可哀想で
この先の自分が不安で
どうしていいのか解らなくて
あとは・・・・
結婚式にも、俺はよく泣くなぁ
泣くと言うより、勝手に涙が出てくる
お涙ちょうだい的な、シナリオには
まんまとハマってしまう(^_^.)
映画を観てても泣いてるし
音楽を聴いただけでも涙が出てくる時もある
高校生の時はビートルズの曲で感動して泣いて
学校祭の時は、その曲を演奏してる自分に感動して
ドラムを叩きながら泣いていた(笑)
泣くのと、涙するのは チョットだけ違うような気がする
ただ、悔し涙だけは絶対に人前では見せない
オッカちゃんには、一度だけ見られたなぁ
しかも、仕事のことでだったような気がする
今となってはその理由さえも思い出せないほど小さなことで
当時の俺の心は折れたんだろうなぁ
そんなことを繰り返しながら
背中を押され、誰かに助けられ
少しずつ、少しずつ 強くなれたんだと思う。
次を見据えながら、上を向いて流す悔し涙は
見ていて感動する
特にスポーツの場面では
沸々とやる気が沸いてきたりする
最悪なのは、都合が悪くなって
取り乱しての号泣は、男女問わず見るに耐えない
笑うにも笑えない
涙を武器にして勝ち誇ってきた女を
俺は一人だけ知っている
その女の涙は
この世で勝るものがないほど最強で
即効性があり、おまけに持続性をも備えている
俺の心は 360度ぐらい 折れる
泣かせてしまったことを後悔し
自責の念に駆られる
28年前
「守ってやらなきゃ」 と、俺を勘違いさせた
その女は
今や我家の 女王の座に 君臨している
2014年7月2日水曜日
俺のサロマが・・・
終わった
今年のサロマは・・・・不参加
まぁ、もし参加したとしても
今年は100キロどころかフルでさえ
たどり着けなかったと思う
左膝の内側側副靭帯を損傷してから
もう2ヶ月が経つと言うのに、未だに完治していない
靭帯は、長い と聞いたことがあるけれど
本当に治らないなぁ
そんなことで今年のサロマは
残念ながら不参加
これで、不参加は3回目だ
この3回全て完走していれば 来年はサロマンブルーだったんだけどなぁ
たら・れば の話をしてもしょうがないな
んで 何をしていたか?というと 仕事です
あたり前ですが、公務優先です。
消防団の年一回の大会
「渡島地方消防総合訓練大会」
当組合消防の
構成町でもある 鹿部町 で
開催されました。
小型ポンプ操法や
小隊訓練を披露し
日頃の訓練の成果と
消防団としての
使命を再認識するとともに
志気の向上を目的として
開催されます。
例年、7月最初の土曜日か日曜日に開催されていたけど
今年は6月に開催されました。
開催地の消防団の構成によって
農家が多い消防団、漁師が多い消防団、会社員が多いところ
その地域の事情はそれぞれ違うし
第一、消防団員は非常備と言って
俺たちのように、消防が本業ではない。
別に仕事を持っていながら
災害活動をし、その為の訓練を行い
家族との団らんの時間を割いて
消防団の任務についている人達です。
本当に頭が下がります。
だからこそ、怪我をして欲しくないし
貴重な時間を有効に使ってもらうために
俺たち職員は団員に対して、厳しく訓練に当たります。
そんな日頃の訓練成果を発表する年一回の大会が
「渡島地方消防総合訓練大会」です。
今年のサロマは・・・・不参加
まぁ、もし参加したとしても
今年は100キロどころかフルでさえ
たどり着けなかったと思う
左膝の内側側副靭帯を損傷してから
もう2ヶ月が経つと言うのに、未だに完治していない
靭帯は、長い と聞いたことがあるけれど
本当に治らないなぁ
そんなことで今年のサロマは
残念ながら不参加
これで、不参加は3回目だ
この3回全て完走していれば 来年はサロマンブルーだったんだけどなぁ
たら・れば の話をしてもしょうがないな
んで 何をしていたか?というと 仕事です
あたり前ですが、公務優先です。
消防団の年一回の大会
「渡島地方消防総合訓練大会」
当組合消防の
構成町でもある 鹿部町 で
開催されました。
小型ポンプ操法や
小隊訓練を披露し
日頃の訓練の成果と
消防団としての
使命を再認識するとともに
志気の向上を目的として
開催されます。
例年、7月最初の土曜日か日曜日に開催されていたけど
今年は6月に開催されました。
開催地の消防団の構成によって
農家が多い消防団、漁師が多い消防団、会社員が多いところ
その地域の事情はそれぞれ違うし
第一、消防団員は非常備と言って
俺たちのように、消防が本業ではない。
別に仕事を持っていながら
災害活動をし、その為の訓練を行い
家族との団らんの時間を割いて
消防団の任務についている人達です。
本当に頭が下がります。
だからこそ、怪我をして欲しくないし
貴重な時間を有効に使ってもらうために
俺たち職員は団員に対して、厳しく訓練に当たります。
そんな日頃の訓練成果を発表する年一回の大会が
「渡島地方消防総合訓練大会」です。
今年は、その大会に出席しました。
消防団の皆様
本当にお疲れ様でした<m(__)m>
それでも
それでも
それでも 俺は走る サロマに向かうぞぉ!!
といって 訓練大会終了後に
サロマを目指して車を走らせた 凄い熱い奴がいます。
彼から連絡が来たのは
翌日の4時30分 早朝の4時30分だ
要するに、スタート30分前に サロマに着いたと
メールがあった
彼を100キロの世界に招いたのは 実はこの俺(^^ゞ
最初は 「100キロ走るなんて考えられない
どうにかしてんじゃねぇ~の?」
といっていた彼も 今ではスッカリ
100キロの魅力に取りつかれた一人です。
訓練大会が終わって
サロマを目指してひたすら車を10時間も走らせ
そして、そのままスタート
誰が聞いても 無謀 以外の何ものでもない
正常な人がすることではない
あいつは どうにかしてるよ まったく
結果は60キロで タイムオーバー
だから言ったこっちゃない
最初から無理だって言ってるのに・・・・・
なんて 俺は 思わない
俺は あいつの気持ちが 凄く理解できる
そんなリスクを負ってでも
サロマは走りたい
それだけ、このマラソンの魅力に俺たちは心惹かれてしまった
もし、夜の慰労会がなかったら
俺も、奴と同じく サロマに向かったと思う
来年は幸い
大会とサロマは重ならないようだ
闘志が沸いてきたぜ
そろそろカウントダウンに入るぞ
サロマまで あと 362日 しかない
走るぞぉぉぉ
と その前に 靭帯 治さなきゃ(>_<)
2014年6月26日木曜日
Wカップ
石原さとみ と一緒に 鏡月が呑みたい
今日このごろ
早起き週間も一段落
4年に一度、数日間だけサッカーファンになる俺も
流石に今回の日本代表は、残念だったなぁ
世界の壁は、まだまだ高いってことか
でも、それにチャレンジしていくからこそ
応援したくなるし
この数日間だけは日の丸、君が代を否定する人はいない
にわかファンの俺たちは
日本代表の頑張ってる姿やチャレンジ精神を
見たり、聞いたりして
挑戦し続けることが大事なんだ。と言うことを
教えてもらうことが出来る。
失敗したら、また挑戦して頑張れれば、それでイイ
立ちはだかる大きな壁が、10年や20年で
そんなに簡単に崩せるわけがない。
だからこそ、挑戦する意味がある。
積み重ねることが大事だ
そして、いつかは絶対に倒せるんだと信じることが
尊いことなんだと、選手たちは教えてくれた。
打ちのめされた日本代表の涙
本田と長友の涙は、負け犬の涙では絶対にない
香川や長谷部の落とした目線は
起き上がるための一段目の階段だ
4年後
また、絶対に応援します
ガンバレ にっぽん!!
監督は日本人がいいなぁ
岡ちゃん、またやってくれないかなぁ
今日このごろ
早起き週間も一段落
4年に一度、数日間だけサッカーファンになる俺も
流石に今回の日本代表は、残念だったなぁ
世界の壁は、まだまだ高いってことか
でも、それにチャレンジしていくからこそ
応援したくなるし
この数日間だけは日の丸、君が代を否定する人はいない
にわかファンの俺たちは
日本代表の頑張ってる姿やチャレンジ精神を
見たり、聞いたりして
挑戦し続けることが大事なんだ。と言うことを
教えてもらうことが出来る。
失敗したら、また挑戦して頑張れれば、それでイイ
立ちはだかる大きな壁が、10年や20年で
そんなに簡単に崩せるわけがない。
だからこそ、挑戦する意味がある。
積み重ねることが大事だ
そして、いつかは絶対に倒せるんだと信じることが
尊いことなんだと、選手たちは教えてくれた。
打ちのめされた日本代表の涙
本田と長友の涙は、負け犬の涙では絶対にない
香川や長谷部の落とした目線は
起き上がるための一段目の階段だ
4年後
また、絶対に応援します
ガンバレ にっぽん!!
監督は日本人がいいなぁ
岡ちゃん、またやってくれないかなぁ
2014年6月15日日曜日
少なっ!
今日は、自治会の避難ウォーク
二つある津波の避難路を歩いてみよう
ということで、今日はその2回目だった
前回は初めての避難ウォークと言うこともあって
参加者は多かったけど
今回は 自治会役員とその家族・・・・・20人ぐらい(>_<)
会館に集まって出発は午前10時
予定は、目的の一時避難場所までユックリ歩いて45分
帰りは、裏道の神社を回って やっぱり45分
3.11から3年が過ぎ
地域の人達も記憶や意識は薄れてきてるのかなぁ・・・
そんなことじゃ
あの大災害で犠牲になった方々に申し訳が立たない
せめて、生きた自分たちは
次に、同じ津波が来ても、絶対に逃げることを決めたはず
そして、避難所での過ごし方や
自主防災組織を立上げ、地域の協力体制を築き上げてきた
そんな、決意も やはりワールドカップには勝てなかったということか
日本代表のキックオフと、同じ日の同じ時間だもんなぁ
決して、津波に対するみんなの意識が低下したわけではない
今日の避難ウォークはしょうがないかぁ
やっぱり、日本代表の初戦をテレビで応援したいもんなぁ
わざわざ今日のこの日にやらなくても・・・
というのが、やっぱり大多数の意見だよなぁ
正直、俺も本音はそうだった
自治会の役員だし、しかも消防職員だし
そうじゃなかったら、俺も今日は家でサッカー観戦だったと思う
俺たちは、住民が避難訓練や体験ウォークに参加しやすいように
工夫することも必要だ
決まってる予定だからと言って強行する必要もない
参加してもらって体験することが目的なんだから
大勢の人達が集まってこれるようにするのが
主催者側の務めだね
今日はサッカーが終わった午後からにすれば
参加者も多かったかなぁ
日本代表の話で盛り上がりながら
体験ウォークが出来たかもしれない
状況判断と決断実行
避難訓練は一度だけじゃないし
今度は大勢集まれるように工夫してみよう
それにしても
コートジボワール戦 惜しかったなぁ 悔しいなぁ
次は 頑張ってくれよぉ~
二つある津波の避難路を歩いてみよう
ということで、今日はその2回目だった
前回は初めての避難ウォークと言うこともあって
参加者は多かったけど
今回は 自治会役員とその家族・・・・・20人ぐらい(>_<)
会館に集まって出発は午前10時
予定は、目的の一時避難場所までユックリ歩いて45分
帰りは、裏道の神社を回って やっぱり45分
3.11から3年が過ぎ
地域の人達も記憶や意識は薄れてきてるのかなぁ・・・
そんなことじゃ
あの大災害で犠牲になった方々に申し訳が立たない
せめて、生きた自分たちは
次に、同じ津波が来ても、絶対に逃げることを決めたはず
そして、避難所での過ごし方や
自主防災組織を立上げ、地域の協力体制を築き上げてきた
そんな、決意も やはりワールドカップには勝てなかったということか
日本代表のキックオフと、同じ日の同じ時間だもんなぁ
決して、津波に対するみんなの意識が低下したわけではない
今日の避難ウォークはしょうがないかぁ
やっぱり、日本代表の初戦をテレビで応援したいもんなぁ
わざわざ今日のこの日にやらなくても・・・
というのが、やっぱり大多数の意見だよなぁ
正直、俺も本音はそうだった
自治会の役員だし、しかも消防職員だし
そうじゃなかったら、俺も今日は家でサッカー観戦だったと思う
俺たちは、住民が避難訓練や体験ウォークに参加しやすいように
工夫することも必要だ
決まってる予定だからと言って強行する必要もない
参加してもらって体験することが目的なんだから
大勢の人達が集まってこれるようにするのが
主催者側の務めだね
今日はサッカーが終わった午後からにすれば
参加者も多かったかなぁ
日本代表の話で盛り上がりながら
体験ウォークが出来たかもしれない
状況判断と決断実行
避難訓練は一度だけじゃないし
今度は大勢集まれるように工夫してみよう
それにしても
コートジボワール戦 惜しかったなぁ 悔しいなぁ
次は 頑張ってくれよぉ~
2014年6月5日木曜日
決まりそう
何がって
新幹線の駅名が
やっと決まりそうだね
駅名が決まらず、なにかと話題の多い北海道新幹線ですが
実は北海道最初の駅は
ここじゃなくて、木古内駅 なんだよね
あちらは、アッサリと単独名で 決まり
そして こちらの駅名は両市落としどころが見つからず
JR北海道に一任したら
なんと、道の意見を聞いて決める なんてことに・・・・(>_<)
まぁ 一任したってことは
決め方も一任したんだから
なんも言えねぇ けど
決まりそうな駅名は
新函館北斗
新函館北斗
新函館北斗 です
俺的には どっちの名前も使わずに
そのまんま 「南北海道」とか「蝦夷」とか
他には、なんかカッコいい アイヌ語とかがあれば
使って欲しかったけど
とりあえず 新函館北斗 に決まりそうなので
後は しっかりと両市仲良くPRだな
新幹線の駅名が
やっと決まりそうだね
駅名が決まらず、なにかと話題の多い北海道新幹線ですが
実は北海道最初の駅は
ここじゃなくて、木古内駅 なんだよね
あちらは、アッサリと単独名で 決まり
そして こちらの駅名は両市落としどころが見つからず
JR北海道に一任したら
なんと、道の意見を聞いて決める なんてことに・・・・(>_<)
まぁ 一任したってことは
決め方も一任したんだから
なんも言えねぇ けど
決まりそうな駅名は
新函館北斗
新函館北斗
新函館北斗 です
俺的には どっちの名前も使わずに
そのまんま 「南北海道」とか「蝦夷」とか
他には、なんかカッコいい アイヌ語とかがあれば
使って欲しかったけど
とりあえず 新函館北斗 に決まりそうなので
後は しっかりと両市仲良くPRだな
2014年6月3日火曜日
夏い!!
いやぁ~北海道は 夏い!!
なんたって本州よりも暑いんだから 驚きだわ
先週の金曜日は
隣の市消防本部のみなさんとのナイトミーティングがありました
当消防本部から15名
隣市消防本部からは16名
総勢31名によるビッグな交流会でした。
そこでサプライズな再会がありました。
忘れもしない、平成5年7月12日
北海道南西沖地震により奥尻島青苗地区が
大津波に飲み込まれてしまった。
召集により消防で夜を明かした俺たちの目に飛び込んできたのは
現実とは思えないほどの青苗の惨状
「津波に襲われたのに火災が発生?」
当時、まだ地震や津波の知識が薄かった俺にとって
頭を整理できない状況にあったけれど
追い打ちをかけるように
更に整理できない情報が俺に入って来た
「函館消防の水難救助隊と一緒に、お前行って来い!!」
「はぁ!? 俺、水難救助隊じゃないっすよ?」
「第一 うちの消防に水難救助隊なんて ないし・・・・」
次の日の夜 俺は消防長からの至上命令により
初めて、北海道広域消防相互応援による派遣隊員になっていました
その時の水難隊長に交流会で再会
お互いに、なんか見たことある顔だなぁという感じで
酒の席は進んで行ったけれど
3.11の話になり、更には1.17 そして7.12の話題へと
当時は、まだ緊急消防援助隊という制度はなく
東京消防庁の水難隊や警視庁の水難隊も応援にきてくれて
海保と海自が指揮を執り
全国の全機関の水難救助隊が集結した現場だった
お互い
「えっ!? あの時の ○○さん?」
「そうだけど、もしかして 隊長?」
いやぁ~お世話になったというか
命の恩人に再会しちゃいました
決して災害現場を懐かしんでいるわけではない
あんな悲惨な現場を見てきた俺たちにとって
二度と同じ被害を被災者を出してはいけないと
ずっと強く思って来たけれど
その後、二度三度と自然は猛威を振るってきた
人間は地球に対して無力だ
でも、被害に合わない方法を考える知恵と行動力がある
そんな話を隊長としながら
当時の消防の応援体制と、今の緊援隊や広域応援の
制度の充実さを比べ
隣接した消防本部の、お互いのあり方までも話は発展し
あっという間に2時間半の交流会は終了してしまいました。
あれから20年
奥尻の街は復興し、俺達の活動のステージはお互い変わったけれど
島の人達の受けた心の傷は、癒されるものではないし
決して忘れてはいけない災害の記憶と共に
あの現場で活動した俺達にも
後輩の職員に語り継がなければならない義務がある
そんな、あの日と同じ暑い夏が また来るんですね
被害者のご冥福を謹んでお祈り申し上げます
なんたって本州よりも暑いんだから 驚きだわ
先週の金曜日は
隣の市消防本部のみなさんとのナイトミーティングがありました
当消防本部から15名
隣市消防本部からは16名
総勢31名によるビッグな交流会でした。
そこでサプライズな再会がありました。
忘れもしない、平成5年7月12日
北海道南西沖地震により奥尻島青苗地区が
大津波に飲み込まれてしまった。
召集により消防で夜を明かした俺たちの目に飛び込んできたのは
現実とは思えないほどの青苗の惨状
「津波に襲われたのに火災が発生?」
当時、まだ地震や津波の知識が薄かった俺にとって
頭を整理できない状況にあったけれど
追い打ちをかけるように
更に整理できない情報が俺に入って来た
「函館消防の水難救助隊と一緒に、お前行って来い!!」
「はぁ!? 俺、水難救助隊じゃないっすよ?」
「第一 うちの消防に水難救助隊なんて ないし・・・・」
次の日の夜 俺は消防長からの至上命令により
初めて、北海道広域消防相互応援による派遣隊員になっていました
その時の水難隊長に交流会で再会
お互いに、なんか見たことある顔だなぁという感じで
酒の席は進んで行ったけれど
3.11の話になり、更には1.17 そして7.12の話題へと
当時は、まだ緊急消防援助隊という制度はなく
東京消防庁の水難隊や警視庁の水難隊も応援にきてくれて
海保と海自が指揮を執り
全国の全機関の水難救助隊が集結した現場だった
お互い
「えっ!? あの時の ○○さん?」
「そうだけど、もしかして 隊長?」
いやぁ~お世話になったというか
命の恩人に再会しちゃいました
決して災害現場を懐かしんでいるわけではない
あんな悲惨な現場を見てきた俺たちにとって
二度と同じ被害を被災者を出してはいけないと
ずっと強く思って来たけれど
その後、二度三度と自然は猛威を振るってきた
人間は地球に対して無力だ
でも、被害に合わない方法を考える知恵と行動力がある
そんな話を隊長としながら
当時の消防の応援体制と、今の緊援隊や広域応援の
制度の充実さを比べ
隣接した消防本部の、お互いのあり方までも話は発展し
あっという間に2時間半の交流会は終了してしまいました。
あれから20年
奥尻の街は復興し、俺達の活動のステージはお互い変わったけれど
島の人達の受けた心の傷は、癒されるものではないし
決して忘れてはいけない災害の記憶と共に
あの現場で活動した俺達にも
後輩の職員に語り継がなければならない義務がある
そんな、あの日と同じ暑い夏が また来るんですね
被害者のご冥福を謹んでお祈り申し上げます
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