職務を完遂する上で、欠かすことのできない義務であり
それ自体が職務だ
様々な災害を想定し、先に疑似体験して
ある一定の初動対応まで決めておくことでもある
個々の基本訓練から始まり
チームとしての小隊規模の訓練
そして、他隊と連携する中隊訓練
指揮隊の統制下に入り部隊として動く大隊訓練
最近では、住民の前で「想定外」という言葉は
軽々に口に出すことはできない
消防には、あらゆる災害を想定して準備しておくことが求められ
災害活動時には当然のように「消防は訓練しているから大丈夫」 と期待され
それに応えなければならない
訓練を企画し、管理職を経て起案が回ってくる
その最初に書かれていることは
何のためにこの訓練を実施するのかという 訓練の目的
そんなもの、いちいち書かなきゃ消防職員なのに解らないのか?
なんて、野暮なことが言いたいわけではない
仮に・・・仮にだ
「実際こいつ、何のために訓練やってるのか解ってんのか??」
という積極性に欠ける隊員がいたり
訓練自体やりたがらない輩までいたとしたら
「そんな奴、消防に必要ねぇ 辞めちまえ」 とか
「もう一回。初任教育から勉強し直して来ぉぉ~い」 とか
そんなこと口と態度に出したら パワハラでアウトだ
俺自身、過去何回も先輩や上司に言われたフレーズだけど
今は、そんなことが通用する時代じゃないし
言う必要も無い
温故知新は当てはまらないし
旧態依然の時代錯誤も甚だしい
放たれたその言葉で、メラメラと闘志が沸いて来て
「ゼッテェ お前を追い越してやっかんな!!」なんて
そんなこと思う奴、何人いるだろうか
その前にこっちが処分されちまう・・・・・難しい時代だ
自分の過去の経験を後輩や部下に押し付ける気は
サラサラ無いけど
何か新しい手段で、「やる気スイッチ」をONにしてやりたい
それはさて置き
消防が実施する各種訓練の内、災害対応訓練の目的なんてのは全て同じだ
有事の際に備え、その時どう動くかを疑似体験して
ベストな活動を身に付けて共有しておくことだ
安全性、確実性を最優先し、決して迅速性を先に求めないこと
的確な行動をしていれば物事は迅速に進むことになっている
速さを先に求めれば、必ず何かを省略してしまう・・・もしかしたら大事なことまで
活動隊の迅速っていうのは、安全確実を極めたその先にあるものであって
迅速を必要とするのは、その活動を指示する指揮者の状況判断力と決断力だ
というようなことを、毎回訓練講評の度に職員に伝えている
それを踏まえて試行錯誤しベストな活動を探し出す
これが訓練だ
訓練の目的は、消防としては当たり前すぎて
逆に、改めて問われると答えられないのかもしれないが・・
俺が言いたいのは、そこではない
問題視しているのは
その訓練の到達点、つまり目標が示されていないことだ
「今回の訓練は、これができるまで、何回でもやるぞ」
みたいな
達成したら修了である筈の訓練が
時間が来たから、訓練終了になってはいないか?
そのレベルに達していなくても、
「今日の訓練はここまで・・・・続きは 今度また・・」
って をいをい
指導を受けながらする訓練に、続きってあるのか?
「復習する機会と予習の時間を与える」
と言えば聞こえは良いが、実際出来ないまま終わった者が
どうやって復習する?
今夜、災害出動があったらどうすんの?
隊員の技量も把握してないで
誰にどうやって命令を出すのよ?
到達点を明らかにした方が、達成感があることは間違いない
その隊員は、更にその先の技術を欲しがる筈だ
訓練隊員のレベルを知っているのは指導者しかいないんだから
その日の顔ぶれを見て、「今日は、これが出来るまでやるぞ」
「出来るまで、俺も付き合う!!」
「頑張って一緒にやろうぜ!」
みたいな
これって、指導者として なまらカッコよくねぇか?
訓練に関して言えば、もう一つ最近思うことがある
自分達のため(ひいては住民のためでもあるが)に実施する訓練と
住民(事業所等も含め)に披露し
我が町の消防は、これだけのことが出来るぞ!?
言い換えれば、出来ることはここまでなんだぞ!?
というような実状を知ってもらう意味も込めた
所謂、見せる訓練
(個人的には「魅せる訓練」であって欲しい)
大きく分けて2種類だ
前者の部隊訓練は7~8年くらい前から
やっと、というか徐々にブラインド訓練を企画するようになった
以前は、無線報告の内容まで要綱に書いてあって
指揮本部にいる大先輩方は、その要綱を片手に
歌舞伎の台詞のような命令を読み上げる
顔を上げて災害現場を見ることはなく
ただただひたすらガチガチの台本を読んでいく大根役者
その台本を作ることが訓練企画者の仕事であり
台詞のタイミングが少しでもズレると
要請していない隊がいてみたり
命令もしていない活動が既に始まっていたり
自分の役が終われば、他隊が活動中でも撤収作業に入ってみたり
ドリフの大爆笑なみの訓練をしている時期があった
今は、そんな訓練をする消防署は全国どこにもない
隊員は隊長の指示で
隊長は指揮隊からの命令で活動する
指揮隊は、次から次へと出される想定に
「じじけつのめいじひょう」を繰り返し、各隊を統制する
そんな当然、現場でやってること? やらなければならないこと?
を訓練手法に取り入れている
ただ、ブラインド訓練は、失敗がつきものだ
訓練終了後に、その失敗を全員で炙り出し
解決策を全員で検討して、次の訓練に繋げていく
最終的には、災害現場で訓練の成果を発揮し
「ブラインド訓練での失敗が、今回の成功に繋がった」
と言えるようでなければ意味が無い
ところが
訓練だから失敗は許される
失敗してもいいのが、ブラインド訓練
と勘違いというか、ブラインドを口実に
失敗したままで終わってる訓練がある かもしれない(あくまでも仮説だ)
確かに職員には
「いっぱい失敗しろ」「TRY & ERROR」だ
「失敗の数だけ、引き出しが増える」
「失敗して、こうすれば失敗するということが判れば、ある意味成功だ」
とかゴチャゴチャ伝えてはきたけれど
なんか真意が伝え切れていない
俺の語彙力の低さが(T_T)/~~~ 残念な俺
新しいことにチャレンジしての失敗は許されるけど
毎回、同じことで何度も失敗することを許容しているわけではない
結果を出すために努力する人間は
目標をつくり、試行錯誤して考えながら行動するけど
努力しながら何らかの結果を出そうと考えている人間は
努力すること自体が目標なので、なかなか結果が出せない
結果が出なくても、ぜんぜんOKだとさえ勘違いしてしまう
北海道から沖縄まで歩いて行くぞぉ という目標の到達点は
あくまでも沖縄だ
何故、歩くのかって言う動機は、人それぞれでも、
それを満足させることが目的だ
でも
歩くことが目的なら
まずは北海道から歩き始めて、例え青森で辞めても
歩くという目的は達成されたわけだ
目標は目指すもので
目的は何段階かの目標を何回かクリヤして達成されるもの
俺たちは訓練をすることが目的ではない
消防組織法第1条の任務を完遂するという大きな目的を達成するために
訓練している
消防は、その施設及び人員を活用して
国民の生命、身体及び財産を火災から保護するとともに
水火災又は地震等の災害を防除し
及びこれらの災害による被害を軽減するほか
災害等による傷病者の搬送を適切に行うことを任務とする。
ブラインド訓練のいいところは
自分の技量や知識を超えた想定に対して
どこまで自分は対応できて、どこからが出来ないのかが
自分でも判るし、他人にも評価してもらえることだ
そして、それを踏まえてどう修正していくかが最も大事だ
「訓練に終わりなし」
今でも、救助科の修了式に教官が言ったその言葉は
俺の心臓の奥底に突き刺さったままだ
「訓練に終わりなし」
今でも、救助科の修了式に教官が言ったその言葉は
俺の心臓の奥底に突き刺さったままだ
「いやぁ~ 失敗したで」
「ブラインドだも、しゃーねぇべや」
こんな会話が
もしあったとしたら
劇団 Fire Fighting って
正面玄関の看板書き換えなきゃな
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