完璧に打ちのめされた
こんな身体能力で
サロマを走ろうと思っていた自分の甘さに
呆れてしまう。
100キロの過酷さと格別な達成感を
誰よりも知っている俺が
サロマをなめていた
70キロの関門で俺の身体は悲鳴を上げ
一歩も前に進む体力も気力もなくなっていた
いつもの俺なら
時計が無理だと言ってても
80キロ関門を目指して、猛然と前に進んでいった
体力がなくても、気力が、心が折れない限り
一歩一歩、ゴールを目指したはずだ。
ゆっくりでも、少しづつでも脚さえ止めなければ
必ずゴールは近づく
それがサロマの100キロの価値だと信じてるから
それを自分の信条とし
サロマで実現することで意識を高く持つことができていた
でも、今年は違っていた
昨年、出場できないことをあんなに残念がっていた自分が
何故、一年かけて一生懸命練習しなかったんだろう
仕事が忙しいという理由を「言い訳」にして
練習から逃げていたに過ぎないだけだと・・・・・・今 気がついた
普段の頑張りを、サロマは、ちゃんと見ている
ちゃんと練習してきた者だけが得られる「極上の達成感」
ずっとそうやってきたのに
歳のせいじゃない
仕事のせいじゃない
誰のせいでもない
災害現場と同じだ
「普段の訓練でできない、やったことがない、知らない」
「こんなんじゃ災害現場で最高の活動ができるわけないだろ!!」
「現場では失敗は許されないんだよ!!」
いつも部下に言ってることが
自分には出来ていなかった
来年は絶対にゴールしてやる
何があっても、心なんか折れたって、脚が折れない限り
走り続けてやる
あと3年で サロマンブルーになる 絶対になる。
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