いい歳こいて 未だに
四輪車 大好き
二輪車 もっと大好き
自分の脚で走るのは 超大好き
夢を叶えられるなら
パリダカに出たい
鈴鹿8耐にも参戦したい
水と食料を背負って サハラ砂漠を
ぶっ倒れるまで走ってみたい
そんなことを考え始めたのは
もう40年も前のことだ
そんな ある日
あれは やってきた
夏休みが終わり
授業になんか、まるっきり身が入らない
昼休み終了後の 超 眠い時間帯
楽しかった海岸での日々を思い出し
3階の教室の窓から ボォ~ っと空を眺めていた
俺の頭上を、とんでもない爆音と共に
そいつは やってきた
ミグ25戦闘機
「なによ 今の!!?」
「ジェット機 だ ジェット機 凄ぇな」
と、一人が騒ぐと、釣られて みんなも騒ぎ出す
典型的な 17歳
とんでもないことが起きそうな予感を察した 俺たち
何事もなかったように授業を進める 教師
「日本の自衛隊機が こんな低空を飛ぶわけないべや」
そんなことぐらい
いくら、はんかくさい俺たちでも 解るさ
俺たちは この無頓着な教師から 何を教わろうっていうんだ?
その日から
津軽海峡は厳戒態勢に入った
親父の 「ロスケ が攻めでくる」 と言った言葉が忘れられない
漁に出ることはできない
今の時代、そんなことが起きるのか?
当時は東西冷戦、そんな時代だった
東西って どごよ?
アメリカとソ連だけだべや
やっぱりはんかくさい17歳は
そんなことぐらいしか、考える知識がなかった
親父たちの世代は 旧ソ連のことを ロスケ って呼んでた
ロシアの人達 ゴメンなさいm(__)m
今は、そんな呼び方する日本人はいませんよ
日本人が ジャップ と呼ばれていたのと同じです
40年前
そんな遠い昔の話ではない
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