18歳で消防という世界に身を置いてから
42年間、10連休なんて初めてだ
結婚した時でさえ1週間だった・・(T_T)
しかも、完全週休二日制の毎日勤務なので
正真正銘の10連休だ
連休前から、何をして過ごそうかあれこれ考えた結果
42年間の消防人生の中で
やり残したこと、後悔していることが
一つだけあり、在職中に、その心の穴を埋めるため
一人で東北へ行ってきた・・・・チャリンコみちのく一人旅だ
東日本大震災
あれから8年
被災した街が見たかったわけでもないし
復興の進捗状況が見たいわけではない
1消防人として
当時、派遣した隊員たちがどんな所で
どんな思いで活動したのかを知りたい
ただそれだけだ
当時、警防課長だった自分が犯した大失敗
今でも、そのことを思い出すと
誤った決断をした自分が残念で仕方がない
平成23年3月13日(日)19時35分
緊急消防援助隊として北海道隊は
石巻市に入った
活動は、過去に経験したことの無い
予想も付かないほどの過酷な環境と状況の中で
凄惨を極めたに違いない
あの時、俺は
災害現場に部下を派遣する際の
警防課長がしなければならない義務を怠った
どんな状況でどんな環境で活動するのか
先陣として、この目でしっかりと見極めてくることが必要だったし
それが、過酷な現場へ隊員を送り出す
人事管理としての警防課長の役目だった
と今でも後悔している
そういう意味では、警防課長という管理職は
隊員とも近くて、自らも精力的に活動でき
隊長や隊員を掌握できている者がなる
それが、当時の俺だった筈だ
消防本部の規模にもよるだろうけど
俺んとこの消防でいう警防課長とは
現場活動と密接に関わっていなければならない
そういう起ち位置だ
先ずはこの眼で実態を把握して状況判断
その上で、どの隊長にどんな隊員を付けるか
誰を派遣することが、北海道隊にとって
被災地にとって最善なのか
自署の消防力を落とさない為には、誰を残留させるのか
派遣された隊員は、全力で頑張ってくれたし
皆、士気が高く、使命感と責任感を持って
与えられた任務を完遂してくれた
不完全燃焼という想いがあるのは
自分の判断が誤りだったことに
後から気付いた当時の警防課長(俺)だけだ
今回、自転車で目指したのは釜石市
犠牲になられた多くの方々のご冥福と
そして今なお、発見されずにいる行方不明者の早期発見
まだまだ不自由な生活をされている方々へ
1 日も早い復興・復旧を祈り
そして、あの時派遣した隊員達の苦労を感じ取り
8年前、悪魔と化した海を凝視しながらユックリ南下しました
被災地や復興工事の写真等は一切撮らないと決めた
この眼で見た光景は、おそらく一生忘れることは無いし
目的は俺自身の心の整理だ
それに、写真を撮ったところで
その一枚一枚に俺のコメントを載せて発信する勇気が無い
そんなわけで
とりあえず目的と到着地はあるが行程表のない
自由で気ままな4泊5日の旅日記です
夜明けとともに朝早い津軽海峡フェリーで
北海道を離れる
さよなら 北海道
一回り大きくなって帰ってくるからなぁ
フェリーは昼頃に青森港に到着
とりあえず1日目は青森市内をなんとなく回ってから
国道4号へ乗る
三内丸山遺跡センターという看板に惹かれ
なんとなく入ってみた
着てみてから毎回思うんだけど
せっかく行くなら、そこの観光名所や歴史や
いろんなこと少しぐらい調べてから来いや
と、自分にツッコミを入れてみる
そして
やっぱり立ち止まってしまうのが
消防関係施設
野内分団第6,7班機械器具置場だ
所謂、分団詰所だな
シャッターに 消 の字が書いてあるだけで感動してしまう
消防で働いていながら、純粋に消防マニアだ
その昔
よく両親から連絡船で浅虫に行ってきたと言う
自慢話を何度か聞かされた
両親の年代は、海を渡って本州に行くということが
ステイタスだったらしいが
俺は自転車で行ってやったぜ
ワイルドだろぉ~?
清水川分団機械器具置場
狩場沢分団機械器具置場
どこだかわからないけど 桜が満開でした
ついでに今回の相棒
前後15段ギヤの どノーマルチャリ
Amazonで急遽購入した安物のサイクルバッグ
カヤックと登山で使用しているGPS
そして、どこで野宿してもいいようにテント
飲料水は常に3本と、アンパンと魚肉シーセージも3個以上をバッグに入れて
行けるとこまで行って寝る・・・・という計画
1泊目は、どこのなんという場所かも判らず
誰もいない公園の東屋の中にテントを張って寝ました・・
写真を撮る間もなく・・・・爆睡
2日目
朝早く朝日に照らされてテント内が暑く
4時に目覚め、さっさと後片付けして
朝飯も食べずに走り出し
たどり着いたのは
八戸市
津波が来たところにまた住むのかぁ
何故、自然の恐怖に立ち向かおうとするんだろう
山を崩して、新しい都市を形成して安心して暮らせばいいのに
自転車で海を睨みながら走っていて
そんな疑念を拭い去れないまま100キロ以上走ったかな
大きな川に架かる大きな橋を渡った時
このプレートを見つけました
八戸は 海と共に ある
あぁ
そういうことだよなぁ
よそ者が、なんだかんだ言う前に
地元の人の気持ちや想いがこの地には詰まっているんだ
俺だって漁師でもないのに富川を離れないのは
そういうことだよな
なんだか一つ
気持ちの整理が付きました
こんな綺麗な夕景
人間がこの地球を守っていかなきゃ・・・・
と漠然と物思いにふける(^^ゞ
二日目は まだ開場していない、何とかという海水浴場の
トイレの庇の中にテントを張り・・・・・爆睡
前日、夜遅くまで
若いアンちゃん達が7~8人で
焼肉をやりながら騒いでた場所です
いかにも、悪そうなヤンキーっぽい奴らでしたが
朝起きて驚きました
何? なにナニ なにぃ~??
跡形もなく綺麗になってる
自分達が遊んだ形跡を
これほどまでに完璧に片付けて去っていったのか?
本当に驚きました
人を外見で判断しちゃいけないと・・・
実体験を通じて心に刻み
また一つ 心の整理が付きました
東北のヤンキー 恐れ入りましたm(__)m
朝起きて、砂浜を散歩していて見つけた
盆栽のような景色
毎日海を見て育ち、砂浜が遊び場だった俺
やっぱり旅に出ても 砂浜が大好きで
早朝の波打ち際を歩いてしまう・・・・・漁師のDNA
鳥居を通ったその先にあるものは・・・・・・海
だから、この地はそういうことなんだよね
いったいどこなのかさっぱり覚えていない
外屋敷神社という芝桜に囲まれた綺麗なカワイイ神社
もちろん、今回の旅の安全を祈願しました
久慈市消防団第8分団第3部
第3部ってことは
1部と2部もあるってことか?
第8分団が更に別れているってことか?
どんな構成なんだろう
でもってそこからしばらく走ってから
あまちゃんでおなじみの久慈市内に入り
見つけたのが 久慈消防署
防災センターも併設なので でかいことでかいこと
写真の反対側にも車庫があって
消防車以外の連絡車(広報車?)が8台ぐらい
ずらりと並んでいました
消防署の入り口に立っていた
単口消火栓
単口消火栓
このシリコン製のベルトはなんだべ?
隣に単管を切ったものがあるから、旗を立てるバンドでも無いし・・・
わざわざ口金の部分を輪にして巻いてある
もしかして、夜間反射材? 蓄光タイプの?
そんなこと無いか・・・それなら標識が光るしなぁ
まぁ日本にはいろんな消火栓があって
それぞれの地域の特徴があるんだよねぇ
でも気になるなぁ このベルト
そして市内の一番にぎやかな場所で
小高い丘に鎮座する巽山稲荷神社
隣には「柔道の神様」と言われた三船久蔵の記念碑もありました
ボォーと生きてたんで写真撮り忘れた(^^ゞ
道の駅の近くにあった
久慈市消防団第1分団第2部
やっぱり各分団が何部かに分かれてるんだなぁ
シャッターには永久不滅の防火標語
火の用心
3泊目は一度宮古を通って釜石まで行って
更に来た道を戻りという道のり、150キロぐらい走ったか?
今回はじめてのキャンプ場らしい設備が整った場所
先客には、前日国道45号で追い越した
徒歩で東北を旅する女の子が先にテントを張っていて
60のオッサンは間髪をいれずに
「あれ? 昨日 何処かで会いましたよね?」 ナンパじゃない
「あ~↑ そうですよねぇ」
と、いかにもコミュニケーション能力の高そうな明るい返事
「確か、45に出る 登り坂だったっけ?
俺も、上りで辛くてさ 声も掛けれなくて・・・・」
そしたら
「あそこ 私も心折れてましたもん」
もん? もん ってことは
これは、俺 拒否られてないぞ?
でも、一人旅同士
深入りは禁物だ
挨拶程度にしておけばいいものを
いつもの悪い癖と親父根性が大きく前面に出てしまい
一日 どれくらい歩くの?
どこから来て、どこさ行くの?
全部、野宿かい?
リュックどれくらいの重さあんの?
いやぁ~ 我ながら呆れるほどの質問魔だけど
最後に聞いた質問が俺を黙らせた
「学生さん?」
はい
「どこの?」
東京です
「まさか東大じゃないべな?」
はい文科一類です
ええげぇぇぇなにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~ マジで東大生かよ
なま東大生 始めて見た とか
東大生にも10連休あるんだ とか わけのわからんことを言い始め
これ以上、この娘と関わっていたら
日本の消防の恥になると ようやく悟った俺は
「じゃ ゆっくり休んで また明日 お互い頑張ろう」
はい おやすみなさい
いやぁ コミュニケーション能力どころか IQの高い女性でした(笑)
朝起きたら
その娘は、もういなかったけど
まさか・・・・女狐だったのかなぁ
朝日を拝み
どん兵衛きつねうどんを食べて出発準備
この日の天気予報は午後から雨だ
今日も突っ走って
最終日ぐらいは、ユックリと温泉に入りたいし
青森市内まで頑張るぞとGPSで近道をセット
これが 仇となった・・・・(ToT)/~~~
GARMINは素直に近道を選定してくれた
しかし
それは
俺にとってこの旅を締めくくる
最後のハードトレーニングと化した
えらいアップダウンの激しいコース・・・距離的には短いけど
洋野町消防団第2分団第1部
午前中はまだ、こんなオシャレな分団詰所を見つけては
写真を撮ったりして余裕をかましてた
カラフルで機能的な印象を受ける
洋野消防署で立ち止まって
チョッと見学したりして
まだまだ余裕
東北町立東北東中学校の校庭にある
東北町消防団東北第2分団
東北町消防団東北第2分団
どんだけ東と北なのよ
って自分でツッコンで ほくそ笑んでみたりして
最後の自転車旅を満喫していたけれど
昼過ぎにはだんだん雲行きが怪しくなり
とうとう雨が降ってきて、風も出てきて
チョッとした嵐
状態に・・・・(涙)
そこにきて、ガーミンが選んだ 長ー――――――い峠の登り坂
一番軽いギヤにして、俺の強靭な大腿筋をもってしても
頂点が見えない10%の勾配はきつ過ぎる
風雨の中、懸命に自転車を漕ぐ俺の横を通り過ぎるバイクが
左腕を上げて親指を立てる GOODの合図
バイクの兄ちゃんも
まさかこの雨の中、一生懸命チャリ漕いでるのが
今年還暦を迎えるオッサンだとは思っていないだろうな(笑)
でも
この嵐のファイトがあったからこそ
今回の俺の旅の終わりに相応しい
心の整理という結果を見出すことが出来たんだと思う
体力の衰えを感じながら
ひたすら坂を登っている時に ふと 思ったのが
これって全く人生と同じだよな ということ
人生下り坂とか
転がり落ちるのは
あっという間だ とか
いろんな言い方をするけど
もしかしたら
坂を下れるってことは
そこまで上ってきたからこその下り坂であって
下れるだけ まだマシだ
まだ、どん底ではない
ってことだ
でも底というのは
谷 という意味ではない
強いて言うなら平地
頑張って登ってきた人にだけ、下れる道が用意されている
俺は、つい最近まで、定年後のリタイヤ人生のことばかり考えていた
でも、先日考えが変わった
それは、ある人の行動を魅せられてからだ
60歳にして、日本で一番責任が重く、義務の多い
とんでもなく大変な地位を継承し即位した天皇陛下
60歳という同じ歳なのに、これからがスタートだ
なのに、俺は登ることを終わろうとしている
いや 自ら終わらせようとしていた
頭と性格が悪い以外、どこも悪くない健康な身体
まだ、何処かで役に立てるかも
という考えが 一つの纏めとして完結した
暗い夜道を自転車で走るのは危険がいっぱいだ
道路状況を判断できないのに焦ってスピードを出すことは
自殺行為、せっかくここまで安全に来たんだから
今更、30分や1時間遅く到着したって
誰に迷惑かけるわけでもない
この日の宿 「あおもり健康ランド」に付いたのは
21時を過ぎていた
でも、そこは4日間の疲れを癒すためのご褒美
温泉天国だ
既に食堂が閉鎖していたので
生ビールに柿ピーとチキン&ポテトで乾杯だけど
仕上げのご褒美としては上出来だ
当然、安い宿で泊まるという考えは万人の共通思考であり
バイクの人たちや家族旅行の人たちで館内は満杯
寝る場所なんかある筈もなく
毛布を床に敷いて、落ち着かないけど
その辺の適当な所で・・・・・爆睡
どこでも爆睡できるタイプの人間なので
その辺の所は苦労しないが
おそらく鼾で他の人に迷惑かけたかもしれない
が
こんな時は、寝た方が 勝ちだ!!
帰る日
雨は上がったけど
空はグレイ
さぁ ボンちゃんのところに帰ろう
さよなら 東北
寒くて、辛くて、楽しかったよ
そして最後まで故障もなく
パンクもなく
頑張ってくれたチャリンコ
ありがとう
車やバイクでの旅も何度か経験はしているけど
自転車の旅もいいなぁ
どこを通っても、どこに行っても
ガソリン補給の心配をしなくてもいいのが
精神的に凄い気楽でいられる
体力さえあれば遠くに行けるし
疲れたらそこで寝れば良い・・・・日本の治安の良さに感謝
自由だったけど
気ままではなかった今回の「みちのく一人旅」
ゴールデンウィークの10連休
どうしたらいいか悩んでいた俺の背中を押してくれたのは
誰であろう オッカちゃんだ
高齢の母親と同居の俺たち
家でオッカちゃんが留守番してくれているからこそ
今回一人旅をすることが出来たし
だらだらと10日間 一緒にいるだけが
オッカちゃんに対する愛情表現や孝行ではない
オッカちゃんに自由で気ままな5日間をプレゼントするのも
有りかな? と決断した 俺の考え
8年前の判断は間違いだったけれど
今回は、どうやら正解だったようだ
また、エネルギー充填
完了!!
終わり
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