この先にあるもの

公務員卒業
自分の気持ちを最優先に、この先のことは少しづつ考えながら
赴くままに生きてみたい。

2018年8月27日月曜日

北海道マラソン 2018

4年ぶりに
北海道マラソンに出場
しかも オッカちゃんと Wエントリー

GLAYで盛り上がっている函館を尻目に
俺達は札幌へと向かった

台風もいっちょ前にWエントリーしやがって
19号が遠回りしている内に
20号がインを刺して・・・・(--〆)
まぁどっちも根性なしで温低になってから
なんとか北海道に辿り着いたって感じか?

お陰で,大した被害が無くてよかったさ
コンサートも無事に開催したみたいだし
マラソンも天気が良くて
真夏のマラソンの名に相応しく
どんどん気温が上がっていった

北海道マラソンは後半の関門がキツイ
前半は混雑に流されて,自分のペース以上のスピードで
突っ込んでしまう
しかし
過去のレースがそうだったように
抑え気味に後ろで走っていると,命の水 が足りなくなるのも経験している

札幌の街並みを走っていると,応援も多くて
夜しか通ったことがないススキノの大交差点も昼間は
まるで初めて訪れる街のようにニッカウィスキーの髭爺さんが
「完走したら遊びに恋や」とニッコリ微笑んでいる

そんなことを考えながら,キロ6分ペースで順調に入っていった
あまりにも調子が良いので
もしかしたら4時間前半行けるかも?
と,またまた根拠のない期待が現実になるような妄想に
ドップリと嵌まってしまう

100キロ走ってる俺様が
42キロなんてオメェー クソみてぇなもんださ
オッカちゃんだって,リタイヤしたものの57キロ走ったんだから
42キロなんか ハナクソみてぇなもんだべさ

いやいやいやいや
北海道マラソン 甘く見ちゃいましたさ 舐めてしまったさ
過去2回ほど,関門時間制限で尻尾切りさせられちゃってることを
すっかり忘れて,いい加減な気持ちで挑んだ今回の42.195

新川通りで  地獄を見ました
しかも夫婦そろって 奈落の底へ落される寸前でした

応援ナビでオッカちゃんとの位置関係を図りながら
最後は一緒に仲良く手をつないでゴールというのが
俺たちのマラソンスタンスだ

最初は俺よりもスピードのあるオッカちゃんが先行し
後半バテてくると俺に追いつかれる
というのがいつものパターン
俺は,別に後半に強いわけではなく
終始同じペースを守りながら淡々と走る,慎重派
一方,オッカちゃんは 「行けるとこまでイクぜ」 という
男気溢れる 突っ込みタイプ
でも,結局はいつも同じようなタイムになる
所謂,関門5分前という 「へたれタイム」だ(笑)

今回も,そこは同じだったんだけど
30キロ手前で,オッカちゃんは体調を崩した
そして俺も,マラソン史上初めて腰が痛くなった・・・二人とも体力不足だ

オッカちゃんは熱中症というよりは
おそらく水で胃腸をやられたと思う
俺は,体幹ができていないせいだ・・・要するに太った( ゚Д゚)

頑張れば,なんとか間に合う
でも,チョットでも心が折れたら,試合終了
そんな微妙な時間との争い

とりあえず35まで行くべ

とりあえず北大まで行くべ

40の関門までは行ってみるべ

すんごい具合悪そうなオッカちゃんを励ましながら
俺は俺で,「この痛い腰は,俺の腰ではない」
という北斗神拳奥義を使いながら
なんとか・・・・本当になんとかラスト12.195を走り切った

約束どおり,大通りに戻ってからのビクトリーロードは手を繋ぎ
意地と見栄の笑顔でゴール

したものの,ここで事件発生!!

オッカちゃんが倒れた
しかも嘔吐と眩暈

直ぐに救護班を呼んで担架で救護所へ搬送
ボランティアの学生たちが一生懸命手際よく対応してくれて
助かりました

搬送先は女性専用の救護所で男性は入れない
点滴をしているらしく,なかなか戻ってこない・・・・心配80% 苛立ち20%

もともとゴールの制限時間ギリギリに入ったもんだから
会場は徐々に後片付けモードに移行していく中
俺は救護テントの外で,急激に体温が奪われて寒さに震えながら
ひたすらオッカちゃんが出てくるのを待つこと1時間

「いやぁ~ゴメン ゴメン 点滴してもらったら元気になったわ」
といつもの,俺のことなんかどうでもいいオッカちゃんに戻っていて
先ずは一安心

その後
俺は痛い腰とスタミナ不足の身体に鞭打って
オッカちゃんの荷物と自分の荷物を前後に担ぎ
大通り5丁目から11丁目の地下鉄乗り場までの
延々と続くかのような道のりをゾンビのように歩くことに・・・・
しかも
元気を取り戻し,救護所での出来事を
1から10まで全部話さないと気が済まないオッカちゃんの
話に付き合わされ・・・・

まるで女社長にこき使われている男性秘書みたいな情景

10月のカムイシリでのトレイルは
もう少し函館山でトレーニングを積もう

という話で一致したことだけは・・・かすかに俺の記憶にある

そんなお互い 地獄を見てしまった今回の北海道マラソン2018
今回の完走メダルは,今までとは違う
とっても重みのあるメダル

なのに

あっ あっ Bonちゃん 

それ大事なメダルなんですけど・・・

二人仲良く 勝ち取った・・・・・メ  ダ   ルゥゥ

あ あぁぁぁぁぁ

ボンちゃ~ん

ってば


三日ぶりに再会したボンちゃん

留守番 ありがとう







2018年8月15日水曜日

終戦の日 という記念日


815日 終戦の日です
ポツダム宣言を受諾し
昭和天皇が初めて肉声で「戦争は終わった」と発表した
いわゆる「玉音放送」があった日
そして日本はこの日を、戦争で亡くなった方々を追悼し
恒久平和の確立を誓い、祈念する日とした

国が定めた記念日として815日が「終戦の日」
終戦記念日ではなく 終戦の日 なのだそうだ

記念日というと、何か祝い事やおめでたい日
というような感覚を持っているので
戦争に負けたんだから、おめでたくはない
という考えも一部にはあるかもしれない

でも 個人的には
戦争が終わって  良かった   これで死ななくて済む
戦わなくて済む   殺さなくて済む
明るい未来を見ることができる
これ以上 おめでたい日があるだろうか
そういう意味では
終戦記念日で良いんじゃないかと思うけど

こんな考えさえも、当時の人たちの感覚とは、かけ離れているのかもしれない
息子を、最愛の人を、大事な人を 戦地に送り出したからには
この戦いは絶対に勝たなければならない
何万人、何十万人の戦死と引き換えに納得できるものは

戦争で勝つこと・・・・・と

もし、俺が大事な二人の息子たちを戦争に行かせてしまったなら
そういう気持ちになったかもしれない
悲しい怒りと安堵感との狭間で
当時の人たちは、どれだけ苦しんだだろうか

戦争は軍人が戦地で殺しあうだけでなく
残された両親も兄妹も妻も子供たちも
みんな戦っていた

815日を
「終戦」 と言う国民がいる
一方で「敗戦」 と言う 大本営がある

「平和を受け入れた日」と言う人たちがいる
一方で「降伏した日」と言う人たちがいる

「占領された日」 と言う人たちがいる
一方で 「解放記念日」という人たちがいる

「戦勝国」という言葉があり
「敗戦国」という言葉がある

人の幸せのために「宗教」がある
一方で 「宗教」の違いから戦う人たちがいる

「核兵器廃絶決議案」を毎年提出している国がある
一方で、その案に反対する国がある

過去2度も核兵器を使用された国がある
なのに、「核兵器禁止条約」には反対だという国でもある

「世界の平和と繁栄に積極的に貢献してまいります」 という人がいる
一方で「日米同盟が基軸」だと唱える人もいる

「自国第一主義」を掲げる国がある
その国に「忖度」する国がある

815日は
一年の内で、いろいろと考えさせられることが多い日でもある

そして
厚生労働省から毎年出ているはずの
「地方公共団体の庁舎等での半旗の掲揚及び黙祷の励行」という協力依頼

何故か、一度も目にした事がない・・・・という現実


せめて、正午には黙祷を捧げたいと思う