この先にあるもの

公務員卒業
自分の気持ちを最優先に、この先のことは少しづつ考えながら
赴くままに生きてみたい。

2019年7月29日月曜日

大千軒岳 登山


日曜日
念願の、と言うか 遂にと言うのか・・・

俺達のように1年に1回登るかどうか     みたいな
装備も、ネットで見て買えそうな物だけ揃え  みたいな 
服装だけは、安物だけどそれなりに見えるファッション優先  みたいな
そして一番ダメダメなのが
皆登ってんだから、俺たちだって大丈夫だべや?
みたいな、山をなめ腐ってるいい加減さ

そんな低レベルで無知な俺たちでは
おそらく登ってはいけないであろう 1,000m級の山
しかも日本三百名山のひとつ

大千軒岳   に登ってきた

ここは、北海道最初の一等三角点が設置された山でもあるし
380年前にはキリシタン106名が処刑されたという
悲惨な歴史がある場所

毎年7月の最終日曜日には
殉教記念ミサが行われていることは知っていたので
その人たちの後から山に入れば、熊 も出てこないだろう
という安易な発想

それと、もうひとつ
俺はバリバリの仏教徒で
殉教の本当の意味さえも、たぶん理解していないかもしれないけど
自分が暮らしているそう遠くも無い場所で
そんな悲しい歴史があったのなら
一度くらいは、信仰に関係なく
亡くなった方のご冥福を祈りに行きたい
そんな想いもずっとあった

そんなわけで、天気も良いし、この日は大千軒岳を選んだ

事前に登山口をネットで確認し
GPSにはヤマレコからルートを入れておいたので
遭難することはないし、体力的にもたぶん大丈夫だ

何のトラブルもなく、すんなり登山口に到着
早速 登山開始!!



先ずは 中間地点にある
金山番所跡 を目指す






元気良く出発したものの
いきなりの つり橋崩壊

まぁ  これはヤマレコのレポートで
知っていたので
やっぱりまだ壊れてんだなぁ  って感じ



オッカちゃんは足が濡れないようにと
注意深く石を選びながら渡っているつもりでも
結局は ドボンしてしまい 最後まで靴の中は水浸しで
下山後の足はふやけてワヤ気持ち悪い状態になってました()

その後は


川の淵を歩いたり








河原の流木や大きな岩を乗り越えたり








ロープ伝いに登る難所を
数箇所も通過し







知内川に注ぐ
「あっ これ最初の一滴だぁ」
と喜んだり

 ・・・ぜんぜん一滴じゃないけど




案内用のピンクテープとGPSを頼りに
沢を渡ったりしながら
爽快な気分で順調に登っていく






そして2時間後
辿り着いた 金山番所跡

今回の目的の一つでもある
殉教者への祈りを二人で捧げました




そして、十字架を後にし
更に険しい道のりが待っているであろう頂上を目指した

ミサの参加者達はけっこう高齢者の方が多くて
俺たちは体力に任せて、休憩することもなくどんどん登り
金山番所跡の手前で先発の一行を追い越したので
ミサには立ち会えなかったけど
全員、ここまで辿り着けるのか心配だった

でも、帰りに通ったときは、十字架の下に献花があったので
無事にミサは執り行われたんだと思う
何かを信じる力とか、信仰心って凄いなぁ    
と感心しきり

そして、ここからは後半戦

またまた凄い場所を通りながら
不安全な行動をするクセに
険しい場所が好きなオッカちゃんの
生命・身体を守りながら
俺たちは頂上を目指した




高山植物に囲まれた 十字架
その先に延びる稜線は大千軒の頂上へと導く天国への階段
真っ青な空と360度の大パノラマが
そこには   ある    と信じて
ひたすらテッペンを目指した


そんなワクワク感を抑えながら
冷静に歩みを進め

やっと 千軒銀座 に到着





一休みしたあとには
更に更に、ほぼ直線状に登っていくハードな登山道
「素人はここから先はダメ!」
とでも言われていそうな気配を俺は感じていたけれど
この女は、まったく感じていないようだ


木の根っこでできた階段は
写真では判り辛いけどほとんど 垂直だ

しかも前日の雨で滑り易い





俺は常に、万が一オッカちゃんが落下してきた時に備え
そのでかいお尻を支えるための体勢を整え、下で身構える
その繰り返し(笑)

もし本当に落ちてきたら・・・・俺も一緒に落ちて二人とも谷底へ・・・
福島消防署救助隊出動 →  北海道防災ヘリでピックアップ
明日の新聞には
「素人の無謀な登山」という見出しの傍らに
夫は消防職員・・・・とか小さく載ってしまう

そんなことを考えながらの登山は
ワクワク感とは別に変な緊張感の連続だ

この不安全行動女を山に連れてきたからには
責任がある
一時たりとも気を緩めることは俺には許されないんだ


そうやって頑張ってる俺を
励ますように
現れたプレート

 ガンバレ岩




大変な急勾配のガレ場の途中にあった、このプレートが
俺の闘志に火をつける
おそらくここが最大の難所なんだ
ここをクリアすれば、ご褒美が待ってるはずだ

ガンバレ岩で
ガンバレ俺!!



そんな
ワクワクな気持ちを抑えつつ
到着した   千軒平 

遂に  ここまで来た
既に4時間も登っている



でも・・・・
あっ  あっ   あれ?

大パノラマは?  どごさいった?
360度っていうより180度しか見えないし
花は咲いてるけど、お花畑っていうイメージとは・・・・ちと違う


さっきまでの青空は?

どごさ行った?

いつからガスってんのよ?




恐ろしや  山の天気 

さっきまでの青空が一転してしまった

それでも、ここまで来た喜びと達成感を
無理やり強制的に感じてやろうとする強気なオッカちゃん

あきらめの大爆笑なのか

自分達の運の無さを
笑い飛ばしているのか

何故か満面の笑み



とにかくこの女は
どんな状況でも笑顔を絶やさない・・・・・それにいつも救われる(*^_^*)

そして
俺たちを待っていたであろう  十字架

霧の中の十字架ってのも
またこれはこれで
幻想的という意味では・・・・あり  か?






でも、この状況で 大千軒岳の頂上を目指すのは
素人の俺たちには危険だと判断した
ここが今日の俺達の頂上と言い聞かせました・・・・自分に

そして珍しく  オッカちゃんも納得した

素人の俺たちが登ることを、頂に起つことを
大千軒岳は拒んでいる
この先に行くことを、この十字架が許してくれなかった

努力が報われない時だってあるさ
でも、次があるんだったら
その努力は無駄にはならない
またいつか、もっと経験を積んで
チャレンジすることを志せば
いつか360度の大パノラマに出会える
そう信じて  大千軒岳頂上を目の前にして下山を決意

中腹まで戻ってくると やっぱり晴天なんだよなぁ

山の天気を なめたらいかんぜよ!!  って言われてるみたいでした

下山ルートは登山ルートと同じと考えていた俺達
険しい登りを今度は降りることになって
これまた四苦八苦

そんな時、ふと見下ろした河原を
トコトコ楽しそうに、しかも楽そうに、そして涼しそうに
歩いている若者を発見

よくあんなとこ一人で歩くよなぁ
と思いながら
目を凝らして
よ~~~~~~~~く見たら





金山番所跡からスマホを確認しながら別ルートを選択した
息子でした( ゚Д゚)

まったく・・・・一緒に来たのに
家族とも団体行動をとりたがらない
しょ~もないマイペースな奴で・・困ったもんだ

俺に似たんだろうなぁ・・・・・・困ったもんだ

とりあえず
自然が大好きなところも    似ているし
それはそれで

怪我すんなや!!?

山の神様
今回も楽しい山登りで、一日爽快な気分で過ごせました
明日からまた一週間 頑張れそうです

ありがとうございました






2019年7月25日木曜日

さすが吉本興業 おもろいねぇ


吉本興業のことがマスコミを賑わしてますねぇ
反社会的勢力との闇営業問題は何処かに消え去り
一事業所の内部の揉め事が面白おかしく取り上げられて
さすが天下のお笑い興行   よしもと
これは、すべてネタなんでしょうね()

芸人の誰かがSNSで発言すれば
ゲストコメンテーターがそれに自分なりの考えを喋り捲り
更に司会者と解説者が、これまた自分なりの考えを被せていく
世の中の事件事故に対して自分達の足で取材して得た事実に関して
専門化がいろいろなコメントを発信することは意義のあることだとは思うけど

SNSの内容に、あんた達の根拠と責任の無いコメントなんて要らないわ
そんなテレビ番組は うんざりだ
黙って、お互いの記者会見を延々と垂れ流ししていた方が
よっぽどエンターテイメントだ

いろんな柵やスポンサーがある民放は仕方ないにしても
受信料払ってるNHKまでもが・・・・(-.-)

そんな渦中の吉本興業での ファミリー発言に
俺も少しは反応してみようと思う(笑)

結局のところ俺も、一連の吉本興業のネタに反応しちゃう
アホで平和な日本人の一人ってことだな(爆)

これは、様々な組織の上層部にいる人たちに対する
よしもと からのメッセージなんだと思うし
組織を職員を部下をファミリーだと思って接していますか?
という全国民に向けての問い掛けなんだと思っている・・・・・・俺はね(^^

俺は消防という職場を
若い時も、中堅のときも、そして今も
ファミリーだなんて思ったことは一度も無い

同僚、部下に何かあったとき
自分の命と引き換えにしてでも助けることが出来るか?といったら
俺には、できない

毎日のように、職員一人一人の幸せを願い
災いが降りかからないように願っているかというと
そんなことも無い

一切の見返りを求めず
ただただ家族に注ぐように、無償の愛情を職員にかけることは
俺には、できない

組織とは、特に消防のようなチームで活動する職場には
One for all, All for one 一人はみんなのために、みんなは一人のために
こんな気持ちが大事だとよく言われる

家族なら解る
父親である俺の行動は、全て家族全員のためでもあるし
妻も子供たちも何かあったときにはお互い家族のために団結する

でも、職場、特に消防という職業に関して
俺はそうは思っていない

一人はみんなのために・・・・これはあると思うし
一人一人の努力と成果が結集してこそのチームワークだと思っている

しかし
他のみんなは一人の隊員のためには動かない・・・・動いてはいけない
そんなことをしていたら要救助者は助けられない

具体的には
一人の隊員のせいで発生したアクシデントを
フォローするために他のみんなが動くことになる
ということだ
決して、その隊員のために動くのではない
その隊員のせいで、その隊員の分、みんなが動くことになるんだ

何故なら
俺たちは、消防の目的を達成するために
一人一人が重要な役割を持っているからであり   
万が一、チームの一人でもその重要な役割を果たせなかった時
チームの皆は、その隊員のためにではなく
消防の任務を達成するという大きな目的のために動くんだ

俺から言わせれば
One for all, All for one 一人はみんなのために、みんなは一人のために
ではなく
One for all, All for Goal 一人はみんなのために、みんなは任務達成のために
と、こんな感じだ

だからこそ
チーム内の誰かは、必ず失敗することを想定し
その時は他の隊員が全力でフォローできるように事前に体験し準備しておく
それを消防では 訓練 というんだ

消防という職場に必要なマインドは
ミスは必ずいつか誰かが起こす 自分かもしれない
だから、決してミスを責めることはしてはいけない
そいつがミスを起こすまで、今まで誰も気付いてやれなかったことを全員が反省する
     ↓
そして
ミスが発生した

その時   どう動く

これを考えておくこと

ファミリーだなんて気安く発する言葉ではない
俺は親でもないし、職員は子供でもない

それぞれが
消防としての重要な役割がある
大人のプロ集団だ





2019年7月16日火曜日

7月12日


この日に何があったのか
今の若い人たちは知っているだろうか
若い消防職員たちは知っているんだろうか

1993年、26年前の712
震度6の地震が発生し、大津波が襲来、そして火災が発生した
北海道南西沖地震
これにより奥尻島青苗地区が全滅した
死者と行方不明者を合わせると
判明しているだけでも230人を超えた大災害だ

そんな忘れられない、忘れてはいけない大災害を
今年の新聞各社は一切記事にしていない
地元を代表する新聞ですら一面は愚か
総合にも社会にも、どこも取り上げていない

かろうじて、翌日の渡島檜山の地方版にだけ
奥尻町で避難訓練が行われたことを掲載している

石狩湾新港に電源を新設するのも
はやぶさ2の活躍も
朝鮮学校への補助金の件や道議会の喫煙所の件も
確かに大事だと思うけどさ

せめて地元の新聞なら
この日何が起こったのか一年に一回ぐらい
道民に思い出させてくれれば・・・

あの日
楽しい思い出しかない、美しい島、奥尻が燃えてしまった
津波の後に何故火災が?
消防職員としてまだまだ知識が薄かった俺は
そんな理解できない不思議な思いを抱いていた
上空ヘリからのリアルタイム映像に映る
燃えていく青苗地区と傍らにはメチャクチャになった消防車を
今でも鮮明に覚えている
それだけショッキングな出来事だった

そして、まさか
そこに自分が派遣されるとは予期すら出来ていなかったし
現地での自分の活動を想像できる経験も知識も
技術も持ち合わせていなかった

全国規模での災害派遣体制がない中
東京消防庁は真っ先に応援に来てくれたが
俺たち北海道広域消防相互応援の隊ですら
統制の取れた活動が出来ていたかといえば
決して YES とは言い難い

当時の札幌消防に広域応援の水難活動を指揮する能力はまだなく
海保と海自もライバル関係こそあれ、協力関係にあるとは言えず
それぞれのプライドがぶつかり合う救助専門の潜水隊員達は
技術的にレベルの低い俺達消防の潜水隊員との活動を拒んだ
唯一、警視庁と道警は連携が取れているようではあったけれど
一番近いはずの警察と消防との情報共有は一切なく
現場では捜索地域の取り合いが始まり
捜索方法でも、しばしば混乱を招いた
同じ場所で活動していながら
同じ目的で集まっていながら
それぞれの機関が各々独自のやり方で活動していた

今思えば、何故あの時の反省と教訓が直ぐに生かされなかったのか
何故、緊急消防援助隊の制度が出来なかったのか不思議なくらいだ

その2年後1995年には更に大きな災害が関西を襲った
阪神・淡路大震災
この時のあまりにもお粗末な消防の活動をキッカケに
やっと緊急消防援助隊が創設され
消防組織法により法律に基づいた部隊となったのは
更に9年後の2004年だ

災害の多い日本において、全国からの応援体制が法制化され整うまで
11年も要したことになる

ただ
それよりも気に掛かることは
やはり、忘れ去られる記憶だ

あの災害を思い出したくない人もいる
忘れてしまいたい712日がある人もいる
でも、やはり人間は過去の災害から学んだことを
後世に伝えていかなければならない責任がある
途切れさせてはいけない

と同時に
防災は市役所で、消防は災害対応
という概念から抜け出せずに
7月12日に何も行動を起こさなかった一消防職員として
今は、自分を恥じて後悔している
せめて、あの時の無力な自分が奥尻で経験した
消防職員としての教訓は後輩に伝えようと思う

北海道、特に道南の人たちにとっても
俺たち消防にとっても
手の打ちようがなかった程に叩きのめされた
未曾有の大災害だったことに間違いないんだから

失敗談こそが、未来を拓く
武勇伝や自慢話は右から左へ抜けていく
先輩の失敗談から得るものは
その話から自分が何を感じ、これから自分は
どうすればいいのか、を考えるからだ

26年前の7月12日
あの日から俺は この言葉を心に刻んだ

その時 どう動く

消防という職業に身を置いている以上
その時 は必ずやって来る

これを読み終えた  直後かもしれない






2019年7月4日木曜日

2019 サロマ ラストラン(涙)


いったいいつまで走り続けるのか
何回完走すれば区切りを付けられるのか
自分でも解らない

走れなくなるまで?  完走できなくなるまで?
でも、完走しないでサロマに終止符を打つことは
おそらく自分にはできない

そんな複雑な心境に整理がつかないまま出場した
34回サロマ湖100kmウルトラマラソン

俺にとっては1714回目の出場

過去2回途中リタイヤ
12回完走
3回は仕事の都合が付かず不参加

思い返せば
43歳でダイエットの神様が降りてきてから今日まで
ず~~~~~~~~~~~っと走り続けてきた

三好神社までの往復3キロを30分もかけて
走っていたあの頃
もっと長く走りたい
速くなくても長く走っていれば
体脂肪を落として、身体は絞れる

でも、3キロが精一杯だった・・・・・(>_<)

目標は長距離ランニング・・・時間が許す限り走り続けたい
目的はダイエット・・・体重75キロ(15キロの減量)

人間は何かを継続する為に、目標が必要だ
しかし、直ぐに達成できるようじゃ  ダメだ
今の自分には無理でも、将来の自分の可能性に望みを託し
比類なき達成感を味わえるものでなければ
目的を失い、目標を変えてしまうかもしれない

そんな3キロ走るのがやっとの肥満体形の俺が考えていた
とんでもない目標にぴったしカンカンだったのが
サロマ湖を周る100キロのマラソンだった

100キロ・・・・10キロを10回かぁ・・・・・なんか行けそうだな
13時間・・・・・けっこう余裕かも
ペース・・・・・1キロを730秒で走れば完走できんじゃん

あのときの俺は    軽率なアホだった
熟慮の末に導き出したアホな結論ではなく
何も考えていない軽率なアホだからこそ
チャレンジできたのかもしれない

3キロ走るのがやっとなのに、100キロ走れそうな根拠の無い予感
しかも、ゴールしている自分を想像しただけで
ワクワクして鳥肌が起った

普通ならハーフの大会に出てフルマラソンに挑戦し
という段階を踏むのが正常な大人の考え方だと思うし
先ずやらなければならないことは
膝を壊さないように体重を落とすことからだろう

しかし、正常な大人に育たなかった俺の頭の中は
行ったことも見たこともない常呂町のゴールゲートを
両手を広げて満面の笑みで走りきった自分しか描けない
そんなバイアスがかかっていた

でも、そのお陰で 続けてこられたのも事実

時を経て、17年の間に俺も少しは変わった
軽率なアホから熟慮するアホになった

オッカちゃんの夕食献立の協力もあり
ダイエットにも成功し、リバウンドしない身体も手に入れた
目標をクリアし、目的は達成した

そして、その後も
目標は依然として長く走ることだったけれど
8年前から目的を変えた
変えたと言うよりは、変わっていった

今の俺が長く走り、サロマに出場し続けるのは
仕事の立場が変わって責任というプレッシャーに
押しつぶされそうな、そんな弱い自分の心を変えるため
耐えられる証が欲しかったからだ

ランナーとしては恵まれていない体形の俺が
13時間もかけて100キロを走る
こんな苦しいことって、この先職場であるだろうか?
諦めれば、直ぐに収容バスに乗って楽になれるのに
ぶっ倒れそうになりながらも、とりあえず次の関門を目指す
そんな忍耐力が必要なことって、この先職場であるだろうか?

例えあったとしても、100キロを走りきることで
その全てに対処できそうな気がする
その裏づけがサロマの完走だ

でも、その裏付けの有効期限は一年しか持たない
俺って直ぐに折れるし挫ける奴なので
「裏付け」は直ぐに使い切ってしまう(+_+)
だから毎年更新が必要なんだ

サロマの完走証は
苦しいことや辛いことがあっても耐えられる証


100キロを完走するという目標は8年前
消防の幹部としての仕事を全うするため
という目的に変わった

だからといって
職責を全うできているのかと問われれば
相変わらず俺は 熟慮するアホ のままだ

そのアホも今年度で
その職責の重さと量から少しだけ解放される




そうだな・・定年と同時にサロマを引退しよう

12時間4841秒走りながら考えて出した結論は
今回悔いの無い走りが出来た強靭な身体に生んでくれた両親に感謝し
毎年、快く俺を送り出してくれたオッカちゃんに感謝し
仕事と趣味の両立を教えてくれた職場に感謝し
そして、途中から一緒にサロマンブルー行きの船に乗ってくれた
七飯消防のTに感謝しながら走った100キロ

そんないろいろな感謝の想いを
このサロマンブルー足形プレートに刻みこんで
北見市常呂町スポーツセンターに置いてきた

息子よ 娘よ 俺が死んだら
一度ぐらいは、このプレートを見に行ってくれ
間違いなくお前たちの父親が
サロマを走り抜けた証がここにある



「サロマありがとう」 とか

「全てに感謝」 とか

「諦めたらそこで試合終了ですよ」  とか

「一歩ずつ前進」 とか




他の先輩サロマンブルー達のように
もっと気の利いたコメントにすればヨカッタァ(^^

だって俺のサロマは
毎回 関門との勝負だったんだもん・・・苦しかったんだもん(涙)

そんなわけで
俺の定年、Tのサロマンブルー達成、今回の完走
いろんな好条件が、俺にサロマ引退を決めさせてくれました


最後の完走メダル

ボンちゃんの首に掛けてやろうと思ったら
全面拒否された(^_^;)






サロマ湖100kmウルトラマラソン
17年間 ありがとうございました

次のステップに進む
踏み台とさせていただきます