この先にあるもの

公務員卒業
自分の気持ちを最優先に、この先のことは少しづつ考えながら
赴くままに生きてみたい。

2014年12月31日水曜日

さよなら2014

大晦日
とうとう今年最後の日です。

一年を振り返って・・・

とかは、あまりしない。

良いことだけを来年に持っていきたいし
振り返るには、あまりにも
今年は、慌しすぎた。

それでも、消防士の魂だけは
今年も抜かずにやってきたつもり


無火災の願いは
今年も、叶わなかった

来年こそは

この防火衣を着て
出動することがないようにしたい








昨日まで緩んでいた寒波も
今日は一転、なまら寒い

そして、大晦日は氏子恒例の
初詣の準備


拭き掃除をして
神殿に納めて

お神酒やおみくじの準備


こんな田舎の神社でも
けっこう忙しいのだ

特に俺は、一番若いもんなので
忙しい中でも、特に忙しいのだ
秋にポリ容器に用意しておいた
掃除用の水は

カッチカチに凍って
使い物にはならず

おかげで俺は
18リットルの水を2缶持って

128段の階段を2往復する羽目に


日勤で訛った身体に鞭打って
なんとか任務達成・・・・

国旗を掲げて準備完了

今年も

俺にとって日本一の富川八幡宮は
最高の準備が整い

初詣の人達をむかえることになりました

今回は当番ではないので
家で家族みんなで年越しができる

長男と次男が帰ってきて
酒盛りが始まる




最愛の娘は当直で
病院のICUで新年を迎えるらしい

娘がいないと、俺は

俺は

   俺は・・・・・・  哀しい

マイペースで愛想のない息子二人も
それはそれで、それなりに あれだが・・・

やっぱり 娘がいないと

俺は

     俺は
   
           お   れ   は


早く

1月2日に ならないかなぁ



 



2014年12月28日日曜日

歳末特別警戒

年末恒例の
消防歳末特別警戒を実施中です。

消防署はもちろん
非常勤の消防団の皆さんも
各分団の詰所に集まって
区域内を巡回したり、広報したりして
夜遅くまで警戒にあたります。

何かと慌しい年の瀬というのは
火の元の点検や後始末なんかが
おろそかになりがちなので
消防が注意喚起して、市民の皆さんに、安心して新しい年を
迎えてもらえるように。
という願いを込め実施しています。

昨夜は、
組合の管理者(所謂、消防事務組合のボス)でもある
北斗市の市長が、そんな消防団の方々の
激励に廻ってくださいました。

毎年、この時期の恒例行事とはいえ
今年は土曜日でした。

本来、公務は休みのはずですが
そんな貴重な休日の、しかも夕方から夜遅くまで
本当にありがとうございました。

そして、今夜は第2弾

団長巡視!!

団長と副団長が各分団全てを廻ります。

1分団から14分団まで、市内14箇所を
約、3時間かけて各分団を巡視します。

俺も、お供します。

お供というよりは、
庶務課長と二人で、団本部からの陣中見舞品を
届けるためのお手伝い(;^ω^)

この、歳末特別警戒が無事に終わって
何事もなく、すべての市民が安心して
新年を迎えられれば、俺たち消防職員も
ホッと一息、正月を迎えられというわけです。

ただ、俺たち日勤は正月休みがあっても
隔勤の当務者は、365日24時間
常に臨戦態勢、気を緩めることはありません。

特に、大晦日深夜から正月三が日、救急隊員は激務です。

毎年、交通事故や急病が大変多くなる。

それだけ、一時的に北斗市の人口が
多くなっているということなのか
気が緩んで、事故が起きてしまうのか・・・・

新年早々の災害は、本当に気が滅入る。

来年こそは、救急件数の減少と無火災
そして、増加しつつある自然災害による
犠牲者や被災者が出ないような年になればいいな
と、心からそう思います。

さてと
そろそろ着替えて、行くか
今日は、日中暖かかったから
夜は、ブラックアイスバーンになる

俺も気を付けなきゃなぁ



2014年12月22日月曜日

都大路

高校駅伝の聖地
憧れの場所 都大路

以前、第4中継所からタクシーに乗って
「運転手さん、西京極陸上競技場まで10分で行ってくれ」
って無理な注文をしたことがあり
その時に運転手さんから
「実際、都大路という名の 通り は無いんですよ」 
という話を聞いたことがある。

高校駅伝のコースのことを 都大路 と通称呼んでいるらしい

でも、 いい響きだなぁ 都大路

実際、京都の街はこの時期が一番きれいかもしれない

        ・・・・・他の季節に行ったことないけど(-_-メ)

その都大路を

北海道代表の男子2校が 駆け抜けた

結果は、2時間06分53秒 18位
札幌山の手高校 北海道勢最高タイム記録更新!!

平成18年 第57大会
初めて出場したあの日から 8年

全国のレベルの高さに圧倒されて
父兄もOBも監督も皆で泣きながら帰ってきた
あの日から 8年

監督が、いつか必ず 頭取る と誓ったあの日から 8年

卒業生の夢と、俺達のような無責任な父兄からのプレッシャーと
北海道の長距離界のプライド
いろんなものを背負って戦う 若き指導者

一歩ずつ 前進はしている
北海道内では、負ける気はしない
負けることは許されない!!

でも、
全国ではまだ、あと一歩及ばない

言い換えれば
あと一歩のところまで来ている

目標は、手の届かない、夢のような話ではなくなった
という事だ。

4分13秒を 誰が、どこで、どんな作戦で縮めるのか

階段は1段ずつ登るもの
監督の頭の中には 何段の階段があるのだろう
俺達、ど素人には解らないけれど
確実に、あの日からは登ってきている

一休みして、自分達が登ってきた道のりを振り返って見るのもイイし
休まず、上だけを見つめて突き進むのもイイ

大事なことは、目標を見失わないこと、迷わないこと
遠回りでも、一点を見続けること

いつか、杯と優勝旗が津軽海峡を渡る、その日まで

ガンバレ 札幌山の手高校 

ただ
個人的な欲を言えば
ドゥングには、トップグループケニア勢3人で争わせたかったなぁ






2014年12月21日日曜日

落陽

しぼったばかりの夕陽の赤が
水平線からもれている
苫小牧発・仙台行きフェリー   

          吉田拓郎 落陽 より

Amから始まって Emへ
そして。またAmへ

こんな簡単なギターコードで始まる 落陽

中学校1年の時、姉のギターを借りて
初めて弾いてみたのが  禁じられた遊び ではなく

この 拓郎の「落陽」だった。

それからギターにのめり込んで
楽器いじりに覚醒。

その後は、ハーモニカを吹き出し
2年生の時、学校祭で落陽を歌った。

 
高校に入ってからは、鍵盤楽器にも手を出し
最後は、ジンジャー・ベイカーやカール・パーマーに憧れて
ドラムにまで行き着いた。

拓郎は勉強もせずに
漁師になると決めていた、中学時代の俺にとって
唯一の勉強だった。
楽譜が読めたおかげで、音楽だけは
まともな成績だった(';')

そんな拓郎の落陽の歌碑を建てようと
活動している人たちが、苫小牧にいる。

拓郎の歌は、その情景が目に浮かんでくるものが多い
けれど、俺が初めて苫小牧のフェリーのりばを見たのは
皮肉にも、平成15年の、あのタンク火災に出動した時だ。

苫小牧はホッキ貝では
北斗市のライバルだけれど

「落陽の歌碑」建設には なんとか応援したいと思う。

拓郎の歌は、大好きな曲がたくさんあるけれど

「落陽」は 別格だ。

エレキギターに持ち替えてフォークを歌う拓郎は
凄くカッコよくて、今でもその姿に惚れてしまう

落陽の歌碑

是非 実現させて欲しいなぁ




2014年12月14日日曜日

北海道8区

朝8時に起床
昨夜の忘年会のアルコールが
若干残ってるような、そんな微妙な状態で

昨夜からダップリ降り続いた雪かきをしてから
バアちゃんとオッかちゃんと3人で
投票に行ってきました。

21時現在、まだ当確が出てません。

公務員なので、選挙に関係する話題は
危険すぎて、怖くて書けないけど

やっぱり、大間の原発や泊の原発は気になるし
集団的自衛権の行使や特定秘密保護法だって
他人事じゃない
北海道としてはTPPも問題だ

将来の日本を、誰に託すか

ただ一つ言えることは

戦争だけはしてはいけない

靖国に眠る英霊に
顔向けできないような、日本にしてはいけない

日本が、アジアが、世界が
この地球がいつまでも平和で
子供たちが笑顔で暮らせる
そんな世に中を頼みます。










2014年12月4日木曜日

生きる

週に一度だけ

夫婦で、生きる意味を考える
そんなテレビ番組に出会いました。

今、俺たちが生きている意味
二人が出会って
子供を授かり
育て、育てられ、今を生きている。

自分の為に、妻の為に
子供の為に、家族の為に

誰かの為にある、自分の人生
生かされていることに感謝しつつ
それを全うするための、責任も少しだけ背負いつつ

やっぱり、最後は自分の為に生きたい

そんな矛盾も認めながら

けれども
そんなに、、人生について悩んでるわけでもなく
悩む必要もなく、生を与えられ
ただ毎日を、暮らしていける幸福感を噛みしめることができる

木曜9時

とっくに成人を過ぎた、子供たちへの想い

そんなことを共有し合える
二人に与えられた、今の時間を大切にしたい

です。