この先にあるもの

公務員卒業
自分の気持ちを最優先に、この先のことは少しづつ考えながら
赴くままに生きてみたい。

2019年5月22日水曜日

還暦の主張


あれをやるんじゃない
それはダメ

禁止されることで守られてきた
若者がどれだけ多いことか

俺は漁師のせがれ
小さい時から親父の船に乗せられて手伝わされてきた

もちろん手伝っていたのは、俺の意思ではない
好きも嫌いも無い
それが当然だと思って手伝ってきた

そんな親父がガキの俺に教えたことは
「船の危ないところはこことここ」
「そこには行くな」
「船の上でこんなことはするな」
「船から落ちるな」  

そんなことではない

親父が俺にしつこく何回も教えたのは

「いいか もし落ちたら こうしろ
こうやって浮いて、こうやって上がって来い」

要するに 落ちたらどう対処するかだ
船の上で一番安全なことは
親父の傍を離れずじっとしていることだ

それじゃ何のために俺が船に乗ってきたのか
全く意味が無い

さて
消防活動に当てはめてみよう

今月の「近代消防」に
ほんの1ページの小さな記事だけど
俺が小隊長になった時ぐらいから
ずっと違和感を覚えていた上からの、ある一つの指示

「安全管理に十分留意せよ!!」

訓練でも災害現場でも、隊長が任務を下命した後の
最後に必ずと言っていいほど発する
隊長の十八番だ

確かにカッコいいよ
最後に締まるのかもしれないし
隊員も 「よし!」って言い易い

でも、チョッと待てよ
こんな危険な場所で活動すること自体
既に安全ではないのに

「じゃ~いったい俺たちにどうせって言うのよ?」
と突っ込みを入れたくなるのが、この言葉だ

無線からスラスラと流暢に聞こえてくると
カッコいいって感じがするけど
中身の無い命令だ

どうせ言うなら、もっと具体的に
「この場所がこういう状態で、こんな危険がある」
という状況だけを周知してくれれば
その対応方法は各隊各自に任せる
もちろん任せられるということは
普段の訓練で知識と技術を習得しているという
前提と裏付けがあってのことだ

今月の「近代消防」のその記事は
正に、そこのポイントを突いた記事だった

マラソンでコーチが
「疲れないように走れ」
って選手に言ってるの聞いたことがあるか?

疲れないように走る なんて所詮無理
疲れてきた時に、今の自分の調子と残された体力
そしてモチベーションを考え
心身と相談しながら、そこからどう走るかが大事なことであって
そこは消防活動とリンクするところだ

そのためにランナーは、その状態を事前に体験して
その時のデータを蓄積しておいて、
その時がきたら
どうするかを確認しておくために 毎日走る
「あいつ頭おかしいんじゃないか?」
と言われても  雨でも走る   風が強くても
ひたすら その時のために   走る

消防の訓練も同じだ
災害現場の危険な状況を再現して行うからこそ
意味があるんじゃないのか?

冬の積雪時に三連梯子を架梯する時の足場は
綺麗に除雪されているのか?
一般住宅の窓に、梯子をロープで固定するような
そんな都合の良いパイプなんてあるのか?
かぎ付き梯子で最初に登っていく隊員の
安全確保って、いったい何だ?
現着時のFOが発生しそうな状況で活動する時
「FOに注意しろ!!」   えっ!?  それだけ?
中高層火災、高所からの降下訓練
懸垂ロープ、窓枠沿いにロープを垂らしちゃって燃えないのか?
屋上より上に支点って作れる?  その降下方法 合ってる?
床が抜け落ちそうな室内、踏み抜きそうな屋根には進入するな
ではなく
進入する時はどうする?が大事であって

そんな様々な危険な状況を作り出して
事前に対応や対処の方法を身につけておくこと
それを訓練って言うんじゃないのか

全てにおいて安全管理された綺麗な訓練場で
周りに守られながら実施する訓練に何の意味がある

立ち会っている上司や先輩というのは
本に書いてないことを自らの体験を通して
後輩や部下に伝えていくためにいるんじゃないのか?

あれするな
これするな
怪我するな

「安全管理に十分留意せよ!!」

それって 本当はあんたの役目ですよ          隊長!!









2019年5月21日火曜日

第45回洞爺湖マラソン2019


毎年参加している洞爺湖マラソン











今年で何回目の参加になるんだべが?
1999年の参加賞だった 青と白のボストンバッグがあるから
11回以上? 156回は出てるんだべがね

今回も天候に恵まれ、最高に気持ちの良い大会で
走れる楽しさと苦しさを
60歳の身体に刻み込んできました

ここの大会は制限時間が緩いし
大会関係者の運営や おもてなし
そして盛り上げ方が慣れてて上手い
走らない人も、仲間がゴールするまでの45時間
退屈しないで済むし、お腹も満足する
 今後も可能な限り参加したい大会の一つでもある

そんな緩いタイムに甘えた俺のタイムは もう散々


まぁ所詮、好タイムを期待して
走ってるわけではないけど
これは酷すぎた

サロマの前哨戦と位置づけている割には
こんなレベルで、サロマ 完走できるのかよ?
っていう 亀タイムだ








おまけに今回は現役最後だし
もう職場の名前が書いてあるランシャツを着て走ることも
無いだろうと思い、恥ずかしさもあったけど
北斗消防 と大きく書いてあるシャツを着て出場



これが

後で大きく悔やむことになるわけだが・・










想定以上に遅くて走れていないので
ギャラリーから野次なのか応援なのか
頻りに声を掛けられる
これは看板を背負って走るランナーの
宿命であることは解ってはいたものの

「消防さん 頑張って」・・・・は まだ良い方だ

オバちゃんたちからの容赦ない機関銃は
「ほれ~北斗消防 遅いよぉ」
「ほれ~ もっと頑張んなさい」
一番きつかったのは
「ほれ~ そんなんじゃ 火 消せないよ~   イヤァハッハッハ」と手を叩く

まぁ実際遅いんで ご指摘の事項は真摯に受け止めますが
なんで、オバちゃんたちって喋る前に
「ほれ~」  って言うんだべな?
そして最後には・・・・手を叩きながら大笑い
これってオバちゃんたち全国共通なんだろうかな??

応援や励まし 叱咤激励ってやつ  ありがとうございました

そんな俺のミゼラブルな状況を嘲笑うような
5キロの部で表彰されている長男の満面の笑み

「陸上部なんだから当たり前だべや

お前の脚には

中学から大学まで金が掛かってんだよ」






そんな俺の捨て台詞には耳を貸さず
表彰が終わったら
入賞商品の 米 を嫁さんに渡して
さっさと帰ったらしい

まぁ それも いいか
何でも許せるようになった俺の成長が
今回の一番の収穫だな
って、人生60年目で やっと悟った一日でもありました

たとえサロマは引退しても
洞爺湖は毎年参加して楽しみたいな

サロマの有終の美を飾るためにも
また明日から練習しよう


ってか
今日からじゃないのかい!!?





2019年5月17日金曜日

国賊と国士


国賊の放った最も低劣な問いかけに

国士が応えた一言

「戦争なんて言葉は使いたくないです」

憂国の士とは
この人のことをいうのだろう






2019年5月13日月曜日

GUN125 ハイラックス本来の姿

新型ハイラックスが登場して3年目に突入
納入が半年先という状況にも拘らず
フロントグリルのマイナーチェンジや
50周年記念モデルを打ち出してみたり

納入を待たされている身になったら
旧型を待たされてる
とまでは言わないが
たまったもんじゃないよな

TOYOTAの暴挙には賛成できない!!

でも、トヨタ以外の車を所持する気にも
サラサラなれない
バイクはHONDA
車はTOYOTA
この神話をいつまでも信じちゃってる
昭和のオッサンだ

まぁ
俺はチェンジ前のグリルが気に入ってるし
TRDグリルにも交換することができた
50周年記念も、よ~く見ると
なんだか今の俺の仕様をパクッたんか?
というぐらい、そっくり だ

足回り交換してフロントは上げたし
タイヤもオッカちゃんに極秘で取り替えた


じゃ~~~ん
YOKOHAMA
GEOLANDAR A/T G015だ






BFGoodrichとどちらにするか迷ったけど
ホワイトレターの文字が中抜きになってるカッコよさに惚れ込んで
YOKOHAMAにしました

元来、国産が一番だという神話から抜け出せないこともあるし
確か、アジアクロスカントリーラリーに参戦している
ハイラックスもYOKOHAMAを履いていたはずだ
ということで、ハイラックスにはヨコハマ ジオランダーに決定!!
因みにサイズは根性なしなので無難に265/70R17だけど

それでもフロントはマッドガードに擦るんで 取っ払い
後ろから見て長くてカッコ悪いと思っていたリヤのマッドガードと
取り替えました

このサイズは車高上げないとボディと干渉して無理です
扁平率5%上げただけで、ボディと干渉するオフロード車って
もうちょっと余裕あってもいいんじゃないか? 
って思うけどなぁ  豊田社長

ということで
ある程度、思い通りの手を加えた俺のGUN125
オフロードを攻めるわけでも、AXCRに参戦するわけでも無いのに
何のためにこの車を買ったのかというと

薪を積む為なのだ

そう これこそが
ハイラックス本来の姿だ













HIPPO LINERでがっちりガードした荷台は
硬い広葉樹から守るためにあり
サイズがいい加減で取り付けに苦労したロールバーは
薪を抑えるのにいい仕事をしてくれた

その辺の、荷台にトノカバーを付けちゃってるシティオフローダーとは
シィオフローダーの内容が違うんじゃ

働く車   ハイラックス だ



せっかく磨いたタイヤには、土が付いて汚れるし
黒くカッコ良くした筈の荷台には、木の皮が散乱してグチャグチャだし
タイヤハウスの中は、引っ掻いた土でドロドロで

もう・・・・・泣きたい(T_T)

なんて これっぽっちも 思ってはいない



本来の使い方をしてくれて
GUN125も喜んでいるはずだ


きっと

そうだ


そうに違いない












2019年5月8日水曜日

10連休・・・みちのく一人旅


18歳で消防という世界に身を置いてから
42年間、10連休なんて初めてだ
結婚した時でさえ1週間だった・・(T_T)
しかも、完全週休二日制の毎日勤務なので
正真正銘の10連休だ

連休前から、何をして過ごそうかあれこれ考えた結果
42年間の消防人生の中で
やり残したこと、後悔していることが
一つだけあり、在職中に、その心の穴を埋めるため
一人で東北へ行ってきた・・・・チャリンコみちのく一人旅だ

東日本大震災
あれから8
被災した街が見たかったわけでもないし
復興の進捗状況が見たいわけではない

1消防人として
当時、派遣した隊員たちがどんな所で
どんな思いで活動したのかを知りたい
ただそれだけだ

当時、警防課長だった自分が犯した大失敗
今でも、そのことを思い出すと
誤った決断をした自分が残念で仕方がない

平成23年3月13日(日)19時35分
緊急消防援助隊として北海道隊は
石巻市に入った
活動は、過去に経験したことの無い
予想も付かないほどの過酷な環境と状況の中で
凄惨を極めたに違いない

あの時、俺は
災害現場に部下を派遣する際の
警防課長がしなければならない義務を怠った

どんな状況でどんな環境で活動するのか
先陣として、この目でしっかりと見極めてくることが必要だったし
それが、過酷な現場へ隊員を送り出す
人事管理としての警防課長の役目だった
と今でも後悔している

そういう意味では、警防課長という管理職は
隊員とも近くて、自らも精力的に活動でき
隊長や隊員を掌握できている者がなる
それが、当時の俺だった筈だ

消防本部の規模にもよるだろうけど
俺んとこの消防でいう警防課長とは
現場活動と密接に関わっていなければならない
そういう起ち位置だ

先ずはこの眼で実態を把握して状況判断
その上で、どの隊長にどんな隊員を付けるか
誰を派遣することが、北海道隊にとって
被災地にとって最善なのか
自署の消防力を落とさない為には、誰を残留させるのか

派遣された隊員は、全力で頑張ってくれたし
皆、士気が高く、使命感と責任感を持って
与えられた任務を完遂してくれた
不完全燃焼という想いがあるのは
自分の判断が誤りだったことに
後から気付いた当時の警防課長(俺)だけだ

今回、自転車で目指したのは釜石市
犠牲になられた多くの方々のご冥福と
そして今なお、発見されずにいる行方不明者の早期発見
まだまだ不自由な生活をされている方々へ
1 日も早い復興・復旧を祈り
そして、あの時派遣した隊員達の苦労を感じ取り
8年前、悪魔と化した海を凝視しながらユックリ南下しました

被災地や復興工事の写真等は一切撮らないと決めた

この眼で見た光景は、おそらく一生忘れることは無いし
目的は俺自身の心の整理だ
それに、写真を撮ったところで
その一枚一枚に俺のコメントを載せて発信する勇気が無い

そんなわけで
とりあえず目的と到着地はあるが行程表のない
自由で気ままな4泊5日の旅日記です


夜明けとともに朝早い津軽海峡フェリーで
北海道を離れる
さよなら 北海道 
一回り大きくなって帰ってくるからなぁ





フェリーは昼頃に青森港に到着
とりあえず1日目は青森市内をなんとなく回ってから
国道4号へ乗る


三内丸山遺跡センターという看板に惹かれ
なんとなく入ってみた
着てみてから毎回思うんだけど
せっかく行くなら、そこの観光名所や歴史や
いろんなこと少しぐらい調べてから来いや
と、自分にツッコミを入れてみる



そして
やっぱり立ち止まってしまうのが
消防関係施設
野内分団第6,7班機械器具置場だ
所謂、分団詰所だな




シャッターに の字が書いてあるだけで感動してしまう
消防で働いていながら、純粋に消防マニアだ


その昔
よく両親から連絡船で浅虫に行ってきたと言う
自慢話を何度か聞かされた







両親の年代は、海を渡って本州に行くということが
ステイタスだったらしいが

俺は自転車で行ってやったぜ
ワイルドだろぉ~?


清水川分団機械器具置場








狩場沢分団機械器具置場








どこだかわからないけど 桜が満開でした
ついでに今回の相棒
前後15段ギヤの どノーマルチャリ
Amazonで急遽購入した安物のサイクルバッグ
カヤックと登山で使用しているGPS





そして、どこで野宿してもいいようにテント
飲料水は常に3本と、アンパンと魚肉シーセージも3個以上をバッグに入れて
行けるとこまで行って寝る・・・・という計画

1泊目は、どこのなんという場所かも判らず
誰もいない公園の東屋の中にテントを張って寝ました・・
写真を撮る間もなく・・・・爆睡

2日目
朝早く朝日に照らされてテント内が暑く
4時に目覚め、さっさと後片付けして
朝飯も食べずに走り出し
たどり着いたのは 八戸市

津波が来たところにまた住むのかぁ
何故、自然の恐怖に立ち向かおうとするんだろう
山を崩して、新しい都市を形成して安心して暮らせばいいのに

自転車で海を睨みながら走っていて
そんな疑念を拭い去れないまま100キロ以上走ったかな
大きな川に架かる大きな橋を渡った時
このプレートを見つけました




八戸は 海と共に ある






あぁ
そういうことだよなぁ
よそ者が、なんだかんだ言う前に
地元の人の気持ちや想いがこの地には詰まっているんだ
俺だって漁師でもないのに富川を離れないのは
そういうことだよな

なんだか一つ
気持ちの整理が付きました


こんな綺麗な夕景
人間がこの地球を守っていかなきゃ・・・・
と漠然と物思いにふける(^^






二日目は  まだ開場していない、何とかという海水浴場の
トイレの庇の中にテントを張り・・・・・爆睡





この写真は
前日、夜遅くまで
若いアンちゃん達が7~8人で
焼肉をやりながら騒いでた場所です





いかにも、悪そうなヤンキーっぽい奴らでしたが
朝起きて驚きました

何?  なにナニ なにぃ~??

跡形もなく綺麗になってる
自分達が遊んだ形跡を
これほどまでに完璧に片付けて去っていったのか?

本当に驚きました
人を外見で判断しちゃいけないと・・・
実体験を通じて心に刻み

また一つ 心の整理が付きました

東北のヤンキー  恐れ入りましたm(__)m


朝起きて、砂浜を散歩していて見つけた
盆栽のような景色

毎日海を見て育ち、砂浜が遊び場だった俺





やっぱり旅に出ても 砂浜が大好きで
早朝の波打ち際を歩いてしまう・・・・・漁師のDNA

鳥居を通ったその先にあるものは・・・・・・海



だから、この地はそういうことなんだよね













いったいどこなのかさっぱり覚えていない

外屋敷神社という芝桜に囲まれた綺麗なカワイイ神社

もちろん、今回の旅の安全を祈願しました





久慈市消防団第8分団第3部
第3部ってことは
1部と2部もあるってことか?
第8分団が更に別れているってことか?
どんな構成なんだろう




でもってそこからしばらく走ってから
あまちゃんでおなじみの久慈市内に入り
見つけたのが 久慈消防署

防災センターも併設なので でかいことでかいこと





写真の反対側にも車庫があって
消防車以外の連絡車(広報車?)が8台ぐらい
ずらりと並んでいました


消防署の入り口に立っていた
単口消火栓







このシリコン製のベルトはなんだべ?
隣に単管を切ったものがあるから、旗を立てるバンドでも無いし・・・
わざわざ口金の部分を輪にして巻いてある
もしかして、夜間反射材? 蓄光タイプの?
そんなこと無いか・・・それなら標識が光るしなぁ
まぁ日本にはいろんな消火栓があって
それぞれの地域の特徴があるんだよねぇ
でも気になるなぁ  このベルト


そして市内の一番にぎやかな場所で
小高い丘に鎮座する巽山稲荷神社
隣には「柔道の神様」と言われた三船久蔵の記念碑もありました





ボォーと生きてたんで写真撮り忘れた(^^

道の駅の近くにあった
久慈市消防団第1分団第2部
やっぱり各分団が何部かに分かれてるんだなぁ
シャッターには永久不滅の防火標語
  火の用心





3泊目は一度宮古を通って釜石まで行って
更に来た道を戻りという道のり、150キロぐらい走ったか?


すっかり辺りが暗くなってから 北侍浜野営場に到着
今回はじめてのキャンプ場らしい設備が整った場所






先客には、前日国道45号で追い越した
徒歩で東北を旅する女の子が先にテントを張っていて
60のオッサンは間髪をいれずに

「あれ? 昨日 何処かで会いましたよね?」    ナンパじゃない
「あ~↑ そうですよねぇ」 
と、いかにもコミュニケーション能力の高そうな明るい返事

「確か、45に出る 登り坂だったっけ?
俺も、上りで辛くてさ 声も掛けれなくて・・・・」

そしたら
「あそこ 私も心折れてましたもん」

もん?   もん   ってことは
これは、俺 拒否られてないぞ?

でも、一人旅同士 深入りは禁物だ
挨拶程度にしておけばいいものを
いつもの悪い癖と親父根性が大きく前面に出てしまい

一日 どれくらい歩くの?
どこから来て、どこさ行くの?
全部、野宿かい?
リュックどれくらいの重さあんの?

いやぁ~ 我ながら呆れるほどの質問魔だけど
最後に聞いた質問が俺を黙らせた

「学生さん?」
はい
「どこの?」
東京です
「まさか東大じゃないべな?」
はい文科一類です

ええげぇぇぇなにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~   マジで東大生かよ

なま東大生 始めて見た  とか
東大生にも10連休あるんだ  とか わけのわからんことを言い始め
これ以上、この娘と関わっていたら
日本の消防の恥になると ようやく悟った俺は
「じゃ ゆっくり休んで また明日 お互い頑張ろう」
はい  おやすみなさい

いやぁ コミュニケーション能力どころか IQの高い女性でした()

朝起きたら
その娘は、もういなかったけど
まさか・・・・女狐だったのかなぁ


朝日を拝み

どん兵衛きつねうどんを食べて出発準備
この日の天気予報は午後から雨だ







今日も突っ走って
最終日ぐらいは、ユックリと温泉に入りたいし
青森市内まで頑張るぞとGPSで近道をセット

これが  仇となった・・・・(ToT)/~~~

GARMINは素直に近道を選定してくれた
しかし
それは
俺にとってこの旅を締めくくる
最後のハードトレーニングと化した

えらいアップダウンの激しいコース・・・距離的には短いけど


洋野町消防団第2分団第1










午前中はまだ、こんなオシャレな分団詰所を見つけては
写真を撮ったりして余裕をかましてた


カラフルで機能的な印象を受ける
洋野消防署で立ち止まって
チョッと見学したりして
まだまだ余裕





東北町立東北東中学校の校庭にある
東北町消防団東北第2分団

どんだけ東と北なのよ





って自分でツッコンで ほくそ笑んでみたりして
最後の自転車旅を満喫していたけれど

昼過ぎにはだんだん雲行きが怪しくなり
とうとう雨が降ってきて、風も出てきて
チョッとした嵐 状態に・・・・(涙)

そこにきて、ガーミンが選んだ 長ー――――――い峠の登り坂
一番軽いギヤにして、俺の強靭な大腿筋をもってしても
頂点が見えない10%の勾配はきつ過ぎる

風雨の中、懸命に自転車を漕ぐ俺の横を通り過ぎるバイクが
左腕を上げて親指を立てる  GOODの合図
バイクの兄ちゃんも
まさかこの雨の中、一生懸命チャリ漕いでるのが
今年還暦を迎えるオッサンだとは思っていないだろうな()

でも
この嵐のファイトがあったからこそ
今回の俺の旅の終わりに相応しい
心の整理という結果を見出すことが出来たんだと思う

体力の衰えを感じながら
ひたすら坂を登っている時に ふと 思ったのが
これって全く人生と同じだよな ということ
人生下り坂とか
転がり落ちるのは あっという間だ とか
いろんな言い方をするけど

もしかしたら
坂を下れるってことは
そこまで上ってきたからこその下り坂であって
下れるだけ まだマシだ
まだ、どん底ではない ってことだ
でも底というのは という意味ではない
強いて言うなら平地
頑張って登ってきた人にだけ、下れる道が用意されている

俺は、つい最近まで、定年後のリタイヤ人生のことばかり考えていた

でも、先日考えが変わった
それは、ある人の行動を魅せられてからだ
60歳にして、日本で一番責任が重く、義務の多い
とんでもなく大変な地位を継承し即位した天皇陛下
60歳という同じ歳なのに、これからがスタートだ

なのに、俺は登ることを終わろうとしている
いや 自ら終わらせようとしていた

頭と性格が悪い以外、どこも悪くない健康な身体
まだ、何処かで役に立てるかも
という考えが 一つの纏めとして完結した

暗い夜道を自転車で走るのは危険がいっぱいだ
道路状況を判断できないのに焦ってスピードを出すことは
自殺行為、せっかくここまで安全に来たんだから
今更、30分や1時間遅く到着したって
誰に迷惑かけるわけでもない

この日の宿 「あおもり健康ランド」に付いたのは
21時を過ぎていた
でも、そこは4日間の疲れを癒すためのご褒美
温泉天国だ

既に食堂が閉鎖していたので
生ビールに柿ピーとチキン&ポテトで乾杯だけど
仕上げのご褒美としては上出来だ








当然、安い宿で泊まるという考えは万人の共通思考であり
バイクの人たちや家族旅行の人たちで館内は満杯
寝る場所なんかある筈もなく
毛布を床に敷いて、落ち着かないけど
その辺の適当な所で・・・・・爆睡

どこでも爆睡できるタイプの人間なので
その辺の所は苦労しないが
おそらく鼾で他の人に迷惑かけたかもしれない


こんな時は、寝た方が  勝ちだ!!


帰る日
雨は上がったけど 空はグレイ
さぁ ボンちゃんのところに帰ろう






さよなら 東北
寒くて、辛くて、楽しかったよ







そして最後まで故障もなく
パンクもなく
頑張ってくれたチャリンコ
ありがとう






車やバイクでの旅も何度か経験はしているけど
自転車の旅もいいなぁ
どこを通っても、どこに行っても
ガソリン補給の心配をしなくてもいいのが
精神的に凄い気楽でいられる
体力さえあれば遠くに行けるし
疲れたらそこで寝れば良い・・・・日本の治安の良さに感謝

自由だったけど 気ままではなかった今回の「みちのく一人旅」
ゴールデンウィークの10連休
どうしたらいいか悩んでいた俺の背中を押してくれたのは
誰であろう オッカちゃんだ
高齢の母親と同居の俺たち
家でオッカちゃんが留守番してくれているからこそ
今回一人旅をすることが出来たし
だらだらと10日間 一緒にいるだけが
オッカちゃんに対する愛情表現や孝行ではない
オッカちゃんに自由で気ままな5日間をプレゼントするのも
有りかな? と決断した  俺の考え

8年前の判断は間違いだったけれど
今回は、どうやら正解だったようだ

また、エネルギー充填 完了!!

終わり