この先にあるもの

公務員卒業
自分の気持ちを最優先に、この先のことは少しづつ考えながら
赴くままに生きてみたい。

2016年12月31日土曜日

さよなら2016

1年には、2度
自分が歩んできた1年間を振り返る日がある

12月31日と3月31日

そして自分が、これから歩もうとしている一年を
心に刻む日がある

1月1日と4月1日

2年前の元旦
目標を起て、自分のするべき役目を固めたあの日
その為に1年かけて準備してきた決意は

その年の3月31に、見事に打ち砕かれた

炎と闘う俺の武器は、管鎗からボールペンに変わり
炎に勝つために、俺が指示を伝える武器は、メガホンからマイクに代わった
そして、その闘う現場は
闘うステージは
それ自体が、変わった

あの年、何の準備もない俺に
突然やってきた、大きな迷路の入口

俺の決意は、僅か3ヶ月で激変せざるを得なかった

あれから2年

「置かれた場所で、咲いてみせるさ」

それだけを頭のてっぺんに置いて
2年前の4月1日、俺は迷路に突入した

今年
2回目の迷路は
抜け出すのに、さほど迷うことはなかった
最初の時ほど、同じ道を戻ることも少なかった

俺には5回チャンスが巡ってくる

3年目の来年は
もう少しゆっくりと周りを見渡してみようと思う
じっくりと自分の周りの景色を観察し
何が見えていて、何が見えていないのかを確かめながら
変化していく景色を、自分が変えられるか、変えるべきか
流れに乗るか、流れを作るか
選択肢は2つではない

トラック5週は、同じスピードでは走れない
全力疾走すればラストはバテバテ
ゴールだけを目指しても、周回が意味をなさない

1周目は自分の調子を確かめながら
2週目は自分の位置を確かめながら
3週目は勝ちに行くための準備をし徐々に加速
4週目に勝負を懸ける
ラスト1週は全力で逃げ切ってやる
そして
ゴールは駆け抜けていき
どこまでも走って、そのまま競技場を後にしたい

闘うステージ、戦う武器は変わっても

俺がやっつけなければならない相手は  炎 だ

変わりはしない

「火を消して、水を操り、男成り、消防魂、ここにあり」

再認識しなければならないことを
2016は教えてくれた

2016という年は二度と戻ってこない
そう思うと、なんだかこの一年間がとても愛おしい
名残惜しくもあり、無事に過ぎた安堵感もあり

さよなら

 ありがとう  2016年

上手くいかないことも
沢山あったけど

後悔と
     やり残したことは

                 ひとつも    

ない





2016年12月26日月曜日

札幌ホワイトイルミネーション

北海道の公共交通が麻痺していた、この3連休

金曜日は、セッセセッセと年賀状をプリントアウト
遠くに住む親戚だとか、消大の同期だとか
東消のお世話になった先輩へ、心を込めて   プリントアウト(^・^)

せめて宛名書きくらいは自筆で
と思っていたけれど、JP泣かせのミミズが這ってる俺の筆跡じゃ
せっかくの年賀状が届かないと困るし・・・

と言うことで
心を込めて   プリントアウト(^^ゞ

頑張った甲斐あって  1時間で完成

次の日の早朝
前夜の宅飲みが効き過ぎて
10時間睡眠の末、6時には目覚めちまった


俺   「あぁれぇ~ 天気 イイっけや?・・」

毒   「えぇ? 雪降ってないの?」

俺   「早ぐ 起きて まんま喰うべし!!」

毒   「なんで? なんも用事ないもの・・ゆっくり寝てればいっしょや~」

俺   「バガこの!! こったらにいい天気寝でられるってな?」
      「札幌さ 行ぐべ  大通りさ イルミネーション見に行ぐべ」

毒   「いいねぇ  じゃ オニギリ作るから 車で食べよう?」

俺   「んだな   早ぐせ!!」

毒   「やぁ~今起きたばっかりで  ○▽□※#%」

ものの30秒も掛からず 即決

迅速な判断や決定は難しいが
遅すぎる判断と決定は組織を腐敗に導く
決断の間違いに気がついたら
迅速に方針変更する勇気を持つこと
初志貫徹の美学とは、自分の判断と決定が
常に正しいか?と問い続けた結果がもたらすもの

という持論を遂行した!(^^)!

綺麗だぁ






























 




















札幌の冬がキラキラと輝く夜

昨日  降り積もった真っ白な雪が

幻想的な時をゆっくりと刻んでいく

若いカップルが手を繋いで歩く  夜の大通公園

転ばないように、毒が俺の左腕にしがみついてくる

「お前   イルミネーションよりも眩しく輝いているよ」

と  そっと呟く・・・・

こんな、なんでもない時間を大切にしたい


毒   「あぁ なんだか寒いし     もうイイわ   ラーメンと焼き鳥   食べに行こう!!」


はぁぁぁぁ?

俺が、こんなロマンチックな気分に浸ってるというのに

食い気 の方が先に立つんかい?

しかも   ラーメンと焼き鳥 って 喰う物も決まってるんかい!?


お前    やっぱり

       

               だな



次の日の帰り道

羊蹄は いつもと変わらず

堂々と男らしかった



メリー クリスマス





2016年12月21日水曜日

聖なる一週間

12月には
俺にとって「聖なる一週間」 がある

それは
聖なる妻の誕生日と
聖なる愚息、長男の誕生日が続く一週間

神をも恐れぬ 我が妻と
神頼みばっかりしている 我が息子

どちらも俺にとっては 聖なる存在だ

そんな聖なる夜に
行って来ました
そして、吐くほど腹いっぱいに喰ってきました

函館にある
ピッツェリアアモリーノ

贈られてきた割引券を抱きしめて

ピザの食べ放題コース

なんぼでも喰ってやるぜぇ!!





こんな感じのピザを
二人で4枚 8種類のピザを腹に入れた

他にはサラダにドリンク、パスタにスープも喰った

ピザは出てくるのが 超早い
でもちゃんとピザ窯で、1枚1枚ちゃんと焼いてました。
俺・・・・確認済みです




仕上げには、このデザート

3個まで自由に取ってOK

でも
この時点で、俺たち二人はもう・・・限界

それでも・・・・・とりあえず   喰う

所謂    ほいど  ってやつ



もう~自分の身体が
全て胃で出来てるんじゃないかと思えるぐらいに腹が膨らんで

ベルトを緩めたまま車に乗り込んだはいいが
オッカちゃんのジムニーで来たもんだから
運転席が狭くて狭くて・・・・・(^^ゞ

帰り道     車内での会話

「ピザって、思ってたより食べれないもんだねぇ?」

「んだなぁ」

「やっぱり、粉もん は、お腹が膨らむよねぇ?」

「んだなぁ」

「イタリヤの人って だから太ってる人多いのかなぁ」

「んだなぁ」

「でも、大阪の人って たこ焼き食べてる割には、そんなに太ってないよねぇ」

「んだなぁ」

まぁ~~~~~~よく喋る  オナゴだごと

俺が、返事するのも面倒だってことに  少しは気づけや?



中略

ということで話は勝手に進み

ピザと言えばイタリア
イタリアと言えばローマ
ローマといえば聖なる道
聖なる道といえばトラピスト修道院
トラピスト修道院と言えば、我が管内

北斗市三ツ石392
正式名称を

灯台の聖母トラピスト大修道院

ということになり
自宅を通り過ぎて、トラピスト修道院まで
ライトアップされた 聖なる道を見に行ってきました

これ
全画面です

周り・・・・・真っ暗です

なんも見えません

ここを訪れる者、全てを包み込む
その雄大さと、神聖な空気

今までの俺の邪悪な行動と罪の数々を
口には出さず、許しを請うて来ました

左に起っているのは   幽霊です

いえ、幽霊のような妖怪です

いや、妖怪のような    我が妻です

おそらくこの女も
口には出さずとも
俺に対する、数々の無慈悲な行動を懺悔しているはずだ

絶対そうだ








2016年12月19日月曜日

最終回と決勝戦

いったい どっちを観たらいいんだぁ?
昨日ほど、2画面テレビが欲しいと思ったことはない

真田丸の最終回   題名が「最終回」ってのも
三谷マジックだなぁと思う

そして一方では
日本の鹿島アントラーズが王者レアル・マドリードに戦いを挑んでいた

真田幸村が家康の首を狙っていたその時間
アントラーズはロナウドに襲い掛かっていた

圧倒的な数と強さの徳川に
僅かな戦力で戦う豊臣軍

開催国枠で出場した日本のチームが
ヨーロッパチャンピオンのスター軍団に挑む

「この戦い  勝てるぞ!!」・・・・・「私も そう思う」

90分間で決着はつかなかった

大方の予想は、アントラーズのボロ負け
胸を借りるつもりで頑張る・・・
凄いチームと戦えただけでも、今後に繋がる
負けてもしょうがない  善戦すれば・・

アントラーズにそんな考えを持っている選手は誰もいなかった
監督も選手もサポーターも 「勝ち」 に行った

「望みを捨てなかった者にのみ、道は開けるのです」

幸村の戦いに対する精神が
アントラーズにのり移っていたようだ

延長戦
終わってみれば、結果は2 - 4の惨敗だった

「人の値打ちと言うのは、己が決めることではない
それは、時が決める・・・・
どんな終わり方をしても、大事なのは如何に生きたか でございます」

アントラーズの戦い
伊達政宗 上杉景勝  直江兼次 も観てたんだろうか

「見事な 戦いぶりよ     源次郎 さらばじゃ・・・・」

もう、どっちがどっちで、何がどうなってんだか
真田の赤と黒の甲冑も
鹿島の赤と黒のユニホームも 全部がダブっちゃって

俺    もうダメ  さ  
目からしょっぱい汗が   流れるわ  流れるわ   (T_T)
鳥肌が起つわ 起つわ

食堂のオッちゃんが裏切ったせいで 大阪城から火の手が上がり
豊臣の旗印 千成瓢箪を城に持ち帰ったことで
浪人兵たちは「負け戦」と勘違いしてしまう・・・・・

一方
完璧にイエローカード2枚で退場と思われたラモスに
主審はレアルマドリードというチームにカードを出すことをしなかった
主審!! ジダン にビビッタか?

ちょっとした出来事で、 戦いの流れは 簡単に変わる

「戦いの潮目が変わったことを、家康は見逃さなかった」

「戦いには風が変わる瞬間がある ロナウドはその瞬間を見逃さなかった」

それにしても 昨日という日は
なんという感動の連続だったんだろうか

今年は、「真田丸」から本当にいろんな言葉で感動を貰った

年末の、職員への訓示で使いたい言葉がいっぱいあるけど
「それって 真田丸のパクリですよね?」
って突っ込まれそうだから辞めとくけど
それほどまでに、グサリと突き刺さる言葉が盛りだくさんだった

ベスト3は

第1位
 「望みを捨てなかった者にのみ、道は開ける」
望みを捨てずに、最後の一瞬まで最善を尽くせ  ということだよなぁ
俺、諦めが早くねぇか?

そして第2位
「大事なのは如何に生きたか」
勝敗が全てではなく、それまでの道のりが最も尊ばれると言うこと
俺、結果ばかり気にしてねぇか?

第3位は
「生きたいように、生きろ」
自分の行動に責任を持って、らしさ を貫け
俺、いつも、自分へ問いかけていることだけど・・・・実現できていない

この魂の言葉

徳川の息子として生まれ
戦いの中にいる偉大すぎる父親と、
それを受け継いでいかなければならない2代目 秀忠
甘やかさず、怒り続けながらも、少しずつ少しずつ認めていった
父親としての家康   家族愛

退散する時に、「徳川に、誠の武将はおらんのかぁ」と叫ぶ幸村
それを撃とうと銃を構える自軍に
「弾は尽きた」と撃たなかった伊達政宗
自分の一番大事な家族を、敵将に預けると言う 男前な二人の関係
尽きない友情の証

家族と友情と強さと弱さ がいっぱい詰まった
久しぶりに全部感動しながら見たNHK大河だったなぁ

戦国時代
武士らしく戦場で死ぬことが、武士の誇りとされていた時代

「私は命が惜しい。 だから決して死なない。 必ずここへ戻ってくる」

それが、六文銭を握り締めて言う言葉っすか?

カッコ良すぎるよ   真田幸村

アッパレ過ぎるよ  鹿島アントラーズ

感動を   ありがとう













2016年12月18日日曜日

武勇伝

本来は、戦国時代の老兵っていうか
年老いて戦場に出なくなった武士の
若い時の手柄話なんかを言うんだと思うんだけど

消防ならとりわけ
「若い時はオメェ、俺なんか火の中に飛び込んで
何人も助け出したもんよ!!」
とか言っちゃってる
単なる、無鉄砲な命知らずで目立ちたがり屋の大迷惑な大先輩
ってとこかな?

助けたんだから  本当の話なら   手柄っていえば   手柄だけど・・・・・

まぁ 一昔前の消防は
根性と気合と体力だけで救助活動してたところがあったからなぁ

今は、そんな救助隊員はいないけどね

何度も書くけど
命懸けで人命救助活動をするけど、命知らずではない

非番の朝には、元気に家に帰って
また次の日に、元気に消防に出てきてこそ
一流の救助隊員だ

あとは、若い時に志を起てて逆境に耐え
苦労しながら頑張って、成功した人のエピソード

それが、「武勇伝」 だと思うんだけど

なんだか最近は 武勇伝 ≒ 若い時に犯した罪

若い時に、悪いことをしていたことを自慢するオッサンたちが
今の自分を自慢する時に話すことを「武勇伝」だと思ってるみたいだな

無免許でバイク乗ってた
教室抜け出して、校舎の裏でタバコを吸ってた
高校生の時には麻雀とパチンコで殆ど学校行ってない
もっと凄いのは
喧嘩上等とか、どこから来た日本語なのか解らないけど
その筋の方に知り合いがいるとか
シンナー吸ってたし、大麻も吸ったことある  とか それって自慢なの?
更に更に
あそこの店のガラスぶち壊してやった
他の族の集会に一人で木刀持って・・・・

をいをい  お前は門田紋乃丞か?   って感じ

どこまでが本当の話なのか判らないけど
本当だとしたら、普通、それって 隠さないといけない
人には知られたくない過去なんではないんですか?

「そんなことしてた俺が 今ではこんなに立派になりました」

って自慢して
今は、バカなことしてても大人になって頑張れば
みんなも立派な社会人になれるぞ・・・・・ってが?

どこまで ハンカクセ のよ?

そんな話を聞いた中高生の中には
若い時はそれぐらい ヤンチャなことしなきゃ ダメなのかな?
とか、勘違いする奴等もいるかもしれないぞ?

どうしてくれんのよ  この先の日本を?






2016年12月6日火曜日

一二〇八

ニイタカヤマノボレ一二〇八

75年前、真珠湾を攻撃する命令が打電された

その後攻撃隊が、 トネガワクダレ を受電することは無かった

日本は、自ら戦争を選んで突き進んでしまった

今はロシアのものとなってる北方領土の択捉島
そこに集結していた第1次攻撃隊はハワイへ向かった

当時の帝国軍人は
この攻撃が宣戦布告なしのルール違反による「奇襲」だと気付いていただろうか
神国日本がそんな卑怯なことをするなんて、誰も思うはずも無く
強襲であると勘違いしていたんじゃないかと・・・・

戦争に、人を殺し合うのに、ルールなんて必要ない
勝てば、それが正義だ
速攻を仕掛け、短期間に終わらせる・・・・

トラ   トラ   トラ

奇襲に違いないけど・・・・

「勝利せり」 ではなく  「成功せり」  と打ったのはそういうことか?

日本の戦争映画が大好きだった俺は
日本目線からだけのシナリオしか知らずに育った

ともすれば、太平洋戦争の日本を正当化するような偏った内容
相手国の軍人を撃って殺せばヒーローだと錯覚するような内容
男なら、闘争心に火がつきそうなナレーション、映像、音楽、思想

戦後の平和な時代に
コーラを飲んでポテトチップを喰いながら見る「戦争映画」は
何の教訓にもならず、間違った思想を持つ人間を育てる

事実を知らずに頭にインプットされる情報は
操作されていることにさえも気付かずに
ストレートに、しかもスンナリと俺の真ん中に入って来た

そんな昭和16年と平成28年では何が違うのか
新聞を見るたびに思うことは
各社全く違うことが書かれていること
新聞は新聞社の正義で書かれている

正義は、他にもあるかもしれない

とか
またまたややこしい内容になりそうなので(^^ゞ
そろそろ本題へ

その真珠湾に、安部首相が日本の総理大臣として戦後初めて訪問する

今年、オバマ大統領がアメリカ大統領として初めて
自分たちが原爆を落とした地、広島を訪れ

犠牲者に哀悼の意を示した

安部総理は真珠湾で何を話すのか
日本国の代表として過去を詫びるのか
それとも
謝罪はなく、犠牲者を慰霊するだけなのか

日本人としては、せめて
言葉に出さなくとも
文字として残さなくとも

心の中では 謝罪してきて欲しい

そして、
二度と国民と国民が殺し合うことはない  と
犠牲者に誓ってきて欲しい

真珠湾の奇襲に始まり
広島・長崎の破滅で終わった戦争

両国のトップが、やっとお互いに、その地を訪れる 「とき」 が来たという
今の恒久的な平和を、両国民は望んでいる

そして両国は
今も地球上で絶えない 国や民族や宗教の違いによる争いを

やめさせる

そんな役割と責任がある

それが 日本とアメリカだ







2016年11月30日水曜日

34回目の涙

今日は親父の命日
何処に行って、何をしてるんだか
遠い遠い あの世 とやらに行ったきり、帰って来やしない

34年前
俺の23回目の誕生日は、市立函館病院の病室で祝った

胸部外科病棟の階段を登って右側にある、付添い人の為の調理室
ガスコンロが3つ置いてある狭い調理場
俺が階段を登っていくと、病棟にはカレーライスの匂いが漂っていた

23歳にもなって、誕生日にカレーかよ?  しかも母親の・・・・
当時、本当に良くしてくれたS婦長さんに
「お父さん待ってるよ」と言われ

あ 今日は調子いいんだな と少しホッとした

親子4人で食べる、母が作ったカレーライス
それが、親父と喰った 最後のカレーライス

1週間後    往っちまった

23歳の俺は
その日から、1年1回だけ
この日だけは泣いてもいい日と決めた

親父の命日だから・・・・だけではなく

一年間のいろんな想いを
この日だけは、弱音を吐こうと決めた

誰に?    もちろん天国の親父にだ

34回目の涙
年々、弱音の数が増えてるのは何故だろう
忘れることが出来る   これが俺の特技だったのに
それさえも出来ないくらい
心に余裕が無いと言うことなのか

昨日は、道西地区協議会の会議
その後に続く意見交換会

2年前、緊張して、あんなに億劫だったこの集まりも
今では、年末の最も楽しみな集まりの一つになった

とっくに「顔の見える関係」が出来ている、このメンバーも
会う度に、新しい刺激をもらう事が出来る

解散後
皆、頑張ってるんだから 俺も頑張らなきゃ
って 素直に思える

昨年と同じ帰り道
俺の眼に映る函館駅のイルミネーションは
昨年とは違う輝きを放つ


21時56分

函館駅発

上磯駅行き









さぁ

いさりび鉄道に乗って

家に 帰ろう




着いた駅には

いつも
どんな時でも
笑顔で迎えてくれる   恐い女が待っている

「今日は、どうだった?」

「うん、 酔っ払ったよ」

「よかったね」

「・・・・・」




2016年11月24日木曜日

57歳

この世に生を受け  57年が経ちました

親父の年齢を越してから5年

追いかけてきた背中には、まだまだ届かない

唯一追い越せたのは、年齢だけ

57年を振り返れば・・・・・  なんてことはしない
後悔はしていないし、全ての選択は自分で決めてきた

でも、自分が決めた道は、自分だけで歩んできた道ではない

ヒントをもらい、勇気をもらい、支えてもらい、励ましてもらい
落としてもらい、拾ってもらい、喜ばせてもらい、怒らせてもらい
哀しませてもらい、楽しませてもらい

どんな状況でも、常に誰かが傍にいてくれた

そろそろ 恩返し していかなきゃならない年齢かなぁ

少しずつ
             出来る事から
                               無理をせず



だな







2016年11月21日月曜日

北海道の一番ハッピーな日

午前中は、北海道日本ハムファイターズの日本一パレード
午後からは、コンサドーレ札幌のJ1への一番勝負

そんな日が来るなんて
しかも、同じ年の同じ日に

2016年11月20日は、北海道民にとって
とてつもなくハッピーな一日になった

その恩恵に浴するため
行って来ちゃいましたよ    札幌へ

先々週は岩見沢、先週は札幌への出張
「あぁ~出張続きで ワヤ 忙しい」 とか、なんとか言っておきながら
チャッカリ、遊ぶ時は遊んでいる
スケジュール管理とリフレッシュが上手な俺

めちゃくちゃファイターズファンでもなく
コンサドーレをこよなく愛している道民でもない俺が

わざわざ週に2回も札幌に行く理由は、唯一つ

配偶者の 「最後に 陽岱鋼に逢いたい!!!!!!」 の一言だった

本音を言えば面倒だったんだけどなぁ

したって
金曜日は、渡島地方の消防団長が一堂に会する
地方支部の理事会があって、終了後には懇親会

それで終わらないのが、うちの団長さん方

二次会は隣の組合消防の団長さんたちと
更に更に交流を深めるための親睦会

「仕事以外の場所で、仕事に必要な関係を造る」
「顔の見える関係が、災害現場では一番大事」
とか、普段偉そうに言っちゃってる手前

「欠席します・・・スイマセ~ン」  とは言い辛い(T_T)/~~~
団長が、それを許すわけがない(ToT)/~~~

後半は「水の水割り」、「ウォーターをロックで」とか誤魔化しながら
最後までキッチリお付き合いし
その後、10時間の睡眠をとった上で、札幌へ向かった

土曜日は、札幌在住者と合流し
ホテルでディナーさ・・・・・バイキングだけどね(^^ゞ

息子と
息子の彼女   カワイイィィィ(*^_^*)

そして世界で一番カワイイ
愛する娘!(^^)!

おまけの配偶者


翌日は、心配された雨はほんの少しだけ降ってたけど
まぁ 北海道の11月下旬は、こんなもんだべさ って感じの天気


報道のヘリが3~4機

そして北海道防災ヘリも
上空から警戒

道警もいたかな?




さぁ~ パレードの始まりぃ

最初に来た1号車

陽選手が 乗っていないことに
落胆する・・・・配偶者
 続けてきた2号車の先頭には
いました    いました   陽岱鋼

絶叫する配偶者  「キャァァァ~カッコイイ」

しかし
一人だけアウェーでのユニホームを着ている

それを見て、何かを悟り落胆する・・・・配偶者

「やっぱり、行っちゃうんだぁ・・・」
小さく
「どっかにいっても ガンバッてね」と
呟いたのが俺には聞こえた

俺にはそんな優しい言葉
今まで一度も掛けてくれたことないのに

何故?
何故、俺じゃなく 陽岱鋼なの?  なんで?






どこか  陽岱鋼  に似てなくも無いよな?


他人の空似か?

いや
こういうときに使う言葉ではないか?



そんな落胆も束の間

今度は  「キャァァァァ 大谷くんもいるぅぅ~」
「こっち向いてぇ 早く こっち こっち  早くってば!!」

何故か だんだん命令調になってくる・・・・配偶者

何故 大谷だけ   大谷くん なんだろう?

目の前を通り過ぎたのは
ほんの30秒ぐらいか

その30秒に凝縮された

という太陽系第3惑星の生物の正体を

俺はしっかりとこの眼に焼き付けた

そんなハッピーな一日でした






2016年11月14日月曜日

あぁ 気になるぅ

最近、歳とったせいか
いろんなことが気になり始めてきてるし
些細なことに、反応してしまう事が多くなってきたんでないかい?



オッカちゃんにチクリと言われた

所謂、「悪ぃ年寄り」になってきた と言うんだ

「オメェ-はどうなのよ?」って聞き返したかったけど
その件に関しては、自分でも心当たりがあるので
その言葉は ゴクリと飲み込んだ

先ず
テレビを観てるとき、気になるのが
どうでもいいような芸能人の政治や時事に関するコメント

「お前 何様よ? 何を知ってるのよ?」と画面に向かってブツブツ

バラエティ番組なんかは、スタジオに誰もいないのに
エェェェェ~  とか  ワァァァァ~  とか  フゥ~ン とか
ひどい時には ハッハッハッハ とか笑い声まで音声に乗ってくることに

「あぁ~イライラする この声なんとかしろ~」

一番 頭に来るのは
カラオケ番組で、画面の隅っこに
どうでもいい芸能人の、驚いたような顔や、陶酔しきってる顔
そんなのが映るとき

「お前なんか、いなくても番組進むだろ」と画面に向かって ブツブツ

終いには
「なんでNHK 金払ってるのに 俺の好きな番組やらねぇのよ!!」とか

同じ箇所で何度も切って、宣伝に持って行き、なかなか本題に入らず
時間ばかり延ばす、あの番組

「テメェ~ さっきも それやったべや!!!」 と画面に向かって 怒鳴る

観ながら食べてる ピーナッツ煎餅も、ボロボロ落ちる・・・


歳取ったら、最近は
ニュース番組もおもしろくて、結構観るようになった
そんな中で、  「ハァ~?」って思うことが

トランプ大統領に決定!!  全米で抗議デモ  って??

「なしてよ?大統領制だべや? お前たちが決めたんだべや」
日本なんか議院内閣制で
国民に選ぶ権利はないのに、誰が総理大臣になっても誰も文句言わないぞ?

アメリカの民主主義ってなによ? 多数決じゃないのかよ?

多勢が必ずしも正しいとは言わないけど
少数より多数が優先されることは間違いないべ

そうじゃなければ、選挙なんかやらないんだし
だいたい、抗議って 誰に抗議してんのよ?
トランプにか? 全米の国民自身にか?     訳わかんねぇ~し

アメリカもアメリカだけど 日本だってあるぞ

核兵器禁止条約の交渉開始を 日本が  反対 って

をいをい   どうなっちゃってるんだ? この国

唯一の被爆国で核廃絶の急先鋒であるべき日本が  反対  ってが?

「核兵器は使いませんよ」ってアメリカが言った途端に
日本は、約束を守らない某国と某国に直ぐに攻撃されて、領土は取られるは
国家滅亡 となるシナリオがあることは、解らないでもないけど

立場ってもんがあるべよ?

日本が反対しなくったって
アメリカの核兵器は直ぐになくなるわけでもないべし
結局は、その核兵器のおかげで日本は守られてるわけだし

その辺はアメリカと内緒の話をしておいて
「そういうことなんで、一応立場上、賛成しますけど怒らないでねぇ」
みたいな軽い乗りで・・・・

国連決議の時は、我先に 「賛成」と声を大にしていかなきゃ
ダメだったんでねぇのかいな?

アメリカとの関係を言えばもっとあるぞ
北海道人としては、最も関心のある北方領土問題

これさぁ 日本とロシアだけで勝手に決めちゃっていいのかぁ
先に二島だとか、いやいや四島一括返還だとか 言っちゃってるけど

第一、返還されたらアメリカは当然真っ先に国後島に基地を造っちゃうよね?
(解らないけど、俺なら造るぞ)

日本は、それを阻止できんのか?
そんなことプーチンさんにバレたら、大変だよ
「絶対に帰さない!!」って言うよなぁ

そんなこと俺が心配しなくったって
外務省がとっくに考えてると思うけどさ?

そんな感じで
最近いろいろと気になるんだよな 様々のことがさぁ



でも
一番気にしてることは、やっぱり消防のことなんだ

俺が今 やろうとしてることは
本当に、消防のため、住民のためになることなのか?

事務専門職になっていないか?
あの現場での悔しい出来事を忘れていないか?
任務を果たし、その為の役割を履き違えてはいないか?

俺はうまく笑えているか
俺の笑顔は卑屈じゃないか
俺は誤解されてはいないか
俺はまだ馬鹿と呼ばれているか
俺はまだまだ恨まれているか
俺に愛される資格はあるか
俺は決して間違っていないか
俺は真実へと歩いているかい

シェリーに聞かなくたって
自分自身で気がつける、そんな自分でありたいなぁ







2016年11月10日木曜日

出張

11月は出張続き

今週は岩見沢市へ行って来ました

北海道の南からの遠征なので
寒ぃのなんのって
こっちを出た日は晴れてたし、雪なんかまだ降ってないし

どうせ 会議はホテルの中で暖かいんだし
その後の意見交換会も同じホテルだ

そんなに厚着しなくても大丈夫だべ
ぐらいの軽い気持ちで
モモヒキもはかずに乗り込んだ、岩見沢

迂闊だったぁ
岩見沢を舐めていたぁ

防災に携わる者として
2014年の大雪のことをすっかり忘れていたなんて

面目ないっす(>_<)

真から冷えた身体に  自ら喝を入れ
会議場へ

役員会は、いつもの顔ぶれなので
名刺交換は、なし

いつも、いろんな場所でお世話になっている方々ばかりなので
挨拶は欠かせない
大人としての礼儀だよね
俺個人だけじゃなく、組織ごとお世話になってるんだから

更に、個人的にお世話になっている方には
意見交換会で、必ず席にお邪魔すること

これ、基本です!!

今回は、昨年の全国総会デビューの時に
右も左も解らずに、会場をウロウロしている俺に
声を掛けてくれた、神様、仏様のような存在

A市のH消防長と少しだけプライベートな話をすることができました

その話の内容に
ビィィィィ---------ックリ!!  っす

外見は強面でガチガチなイメージがある消防長(^^ゞ

なんと
ガチガチじゃなく

実は   バリバリ だったぁぁぁぁぁぁ~

あのスズキの名車
HONDAに比べれば数少ないスズキの名車(*^_^*)
HONDAに比べれば格好悪いスズキの名車(^・^)

ただ
HONDAに比べれば独創性にあふれ
パワーはヨシムラと組めば無敵

そんなスズキの
GSX1100S カタナ に乗ってらっしゃる

まさかFフェンダーは外してないと思いますが・・・


その昔
CB-Fかカタナかって時代があった

そのカタナに、今も魅了され続け、虜になった一人
未だに降りようとしない、昔の悪ガキたち

普段厳しい環境で仕事してる人は
遊びも超一流だ

でも
カタナと言えば 秀吉
秀吉と言えば

峠で・・・・

A市のH消防長
峠なんか攻めなくていいから
安全運転で、長生きしてくださいね(^_^.)

そんなプライベートな話ができて
消防一辺倒な話題にならない場こそ
意見交換会のメリットであり
今後に繋がる有意義な場であることに間違いはない

最近のコミュニケーションを苦手としている若い職員
(実は自分もだけど・・・)
特に、新しい管理職には、事あるごとに伝えている

「仕事に関係ない場で、仕事に必要な関係を創れ」

これは実体験から得た
今の立場でやっと気が付いた
自分なりの 座右の銘

他人に、押し付ける気はないけれど
心のどこかで 自分で自分の胸ぐらを掴んで
自らを引っ張り出さなければならない時が必ずある

そんな時 苦手なんてことを言訳にしてちゃ

せっかく積もった岩見沢の雪も 解けちまうぜ

俺たちはいつまでも
バリバリ 全開よぉ

あの世で鬼でも  ぶっちぎれ!!

あぁ
スクーター乗りに成り下がっちまった自分が

情けない  トホホ





2016年10月29日土曜日

祝 日本一

そうですね

ファイターズ サイコー

すし  ダイスキィ~

ありがとう
北海道日本ハムファイターズ

日本一



2016年10月21日金曜日

北斗市 最高峰

秋の陽射しに映える紅葉と絶景を求めて
北斗市最高峰である 二股岳(825.6m)を登ってきた

この時期は、冬眠前の餌を求めて
熊さんたちも野山を探索している

そこにノコノコと人間が入っていくんだから
少人数では絶対に行ってはいけない

まして、俺たち夫婦みたいな  トレッキング初心者は
あまり人が入らない山に
興味本位だけで入っては絶対に ろくなことにならない

恐いもん知らずのオッカちゃんと
命根性が汚い 俺

北斗市の広報誌で山岳会が二股岳登山を募集をしていたので
直ぐに参加を決意

当日参加は50人ぐらいかな

結構 集まるもんだなぁ

でも 皆さん 本格的
なんとなく御高齢の方が多いような

そんでもって 女性が多いような・・・・


そんなに山奥に入らないのに
早くも、熊さんの 粗相の後を発見

流石ベテランの人達は、こういうの見つけるんだねぇ

俺たちだけなら気がつかなかったし
踏んづけて歩いてたかも・・・(^^ゞ


こんな険しいところも、皆で歩けば  恐くない

紅葉も綺麗だし
他人とのコミュニケーションが苦手な俺も
なんとなく気分は 高揚する

山は 何か神秘的なものを感じるね


稜線を歩き
電波反射板が見えれば     まもなく山頂

北斗市で一番高い山なんだから、360度パノラマ

絶景が待っている            
                                                   筈だった






あれっ?                絶景は・・・・・・




まぁ  こんなこともあるさ

とにかく 怪我もなく、熊さんに遭遇することもなく
楽しい時間を過ごせただけでも  儲けもんだ

また、「来年も参加しよう」と心に固く誓い
二股岳にお別れ

朝9時に登って
家に帰ってきたのは 午後4時頃               疲れたぁ

おまけ  ↓

以前から計画していた
オリジナルステッカー作りに着手

乱土狂砂PRADO

この当て字を考え付いたときは
我ながら・・・・ヤンキーだなぁ~ と(^_^;)



文字をセッセセッセとカッターで切り抜き

世界に一枚しかないステッカーが  ついに完成

カッコイイ!!!!!自画自賛

乱れる土
狂う砂

ランドクルーザーにピッタリじゃねぇ~か
特許申請しようかな    誰もマネすんなよ

60近いオッサンは
未だに、こんなことが大好きな少年なのだ



2016年10月19日水曜日

充電

11月から 出張が続く
寒くなるし、雪が降るし
雪虫が飛び交って、外はランニングできなくなるし

個人的には
北海道のこの時期が一番    嫌い

早く、真っ白な世界にならないかなぁ

その11月を何とか乗り切るために
充電してきました

とは言っても
俺の休日なんか、ほぼオッカちゃんに付き合わされるだけの
奴隷のようなもんだ

エアロビクスの最中に足を捻挫したという娘のお見舞いに・・・・札幌へ
その帰りは、例によって神社巡り

まぁ これは俺も嫌いではないけど


一発目は  喜茂別神社

札幌の帰りは羊蹄山の麓を通るので
いつもはこの道は通らない







たまにルスツ経由で帰るときに
鳥居は見ていたけど

階段登ってワザワザ見に行くほどの
神社でもないべ?  と軽く見ていた

ところが

な  な  なんと    階段を上ると


ジャ~~ン

凄い 社殿が待ち構えておりまして  ビックリポンです

ワヤ 綺麗

ワヤ 厳か

ワヤ 絶景


天気が良いと

羊蹄山が ドッガ~ンと
凄い存在感で目に飛び込んでくる・・・・ はず

残念ながら、この日は見えなかった(涙)

いい感じに ゲゲゲの鬼太郎やネコ娘がいそうな雰囲気



手水舎は既に凍結防止のために
水は流れていなかったけど

普段、手入れが行き届いているのは 判る
数多く、手水舎を見てきた

俺の眼力には   そう写る



そして、しばらく走って
この日のメインイベントである

虻田神社

ワザワザ遠回りしてきたのは

ここを参拝するためでした


文句なし!!

流石 HO で紹介されただけはある

手水舎は、やはり 水は流れていなかった(T_T)/~~~

残念だけど、これは仕方ないな



龍神様もしっかりと清掃されていて

綺麗です

落ち葉も溜まっていない

柄杓の置き方で手入れの度合いが判ります



そして  本殿

やはり
神社に階段があると  厳かさが 違う

真ん中に手摺があると
間違って神様の通り道を  歩くことも無い

虻田神社は
災害や高速道路の建設で
何度か移転し

やっとこの場所で
現在落ち着いたようです



本殿から下を見下ろせば

長い参道と階段

神様を参拝するには
何かしらの苦労をして
初めてお会いできると言うことか   な?



御朱印ガール?  のオッカちゃんは社務所で
2冊目となった御朱印帳にスタンプ

オッカちゃんに、スタンプと言うと     ワヤ怒られるのだ

「これはねぇ   記念スタンプじゃないの!!」
「御神体と同じなんだよ!?」

俺には、どう見ても   記念スタンプラリーにしか  見えないけど・・・・・・



そして

長万部で、リベンジ


浜ちゃんぽん   に行ってきた


今度こそ
一番人気の  あんかけ焼きそば を喰ってやったぜ

しかも 醤油と塩  プラス チャーハンも
喰ってやったぜ    どうだ!!




結論

浜ちゃんぽん は 浜ちゃんぽんではなく
あんかけ焼きそば が一番    ウマイ

ボリュームも   凄い

長距離トラックの運転手さんたちは
みんな これを食べてたから   間違いない

浜ちゃんぽんの、あんかけ焼きそば     恐るべし

俺の充電期間は

こうして

オワタ






2016年10月2日日曜日

奇跡は軌跡

日本ハム ファイターズ パリーグ制覇 おめでとう

学生時代、野球をやってたわけでもなく
野球ファンではない
どちらかというと、野球は 好きではない

野球選手の名前なんか ジャイアンツしか知らなくて
でも、巨人軍というのが球団名だと思っていたり
巨人の星は見てたけど
野球選手になりたいなんて、一度も思ったことはない

親父とキャッチボールなんてしたことないし
だいたい、家にグローブやボールはなかった

半ば強制的に入れられた 職場の野球チームは
練習には殆ど顔を出さず
フライもゴロも取れなくて、振ってもバットに当たらない
試合中はいてもいなくてもいい、起ってるだけの1塁コーチャー

リー リー リー  ってなんだ? って感じ(笑)

相手のエラーとピッチャーのピンチには
人一倍大きな声で、罵声を浴びせるのが 俺の役目
あんまり非常識な罵声を浴びせるので
主審から怒られる始末

在籍3年でお払い箱でした (爆)

そんな俺が テレビで野球を観るようになり
札幌ドームや函館のオーシャンスタジアムに
日ハム戦を応援しに行くようになってしまった

野球って おもしろい
そう変えたのは  日本ハムであり 新庄選手だった

最大11.5ゲーム差 って どんな意味なのか
どれだけ凄いことなのかも よく解らないけど

諦めずに、追いかけ 追い越し 4年ぶりのパリーグ優勝を勝ち取った

努力は必ず報われるなんて 思ってはいない

どこかで諦めなければならないこともある
でも、最初からあきらめて、何もしない男にはなりたくない

必要なのは いつまでも、追いかけること

追いかけ続ければ、いつかは追いつくことができる可能性はある
そして、目指す場所に近づくことができる
そして、追い越すチャンスが生まれる

奇跡はそれを継続してきた軌跡の結果

「夢は正夢」
その言葉の続きは
「夢を正夢にすることを追い続けること それが大事」

42.195キロを4時間半かけて走る俺が
オリンピック選手を夢見たっていいじゃないか
ケニアのエリウド選手を追いかけたっていいじゃないか

追いかけ続ければ
エリウド選手の記録に1秒でも近づける
1メートル近づける

湘北高校バスケットボール顧問、安西先生が言っていた名言
「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」

試合終了のホイッスルを吹くのは 自分じゃないんだ
ゴールはどんな形であれ、必ずやってくる
そのゴールで素晴らしい眺めを見ることができるのは
あきらめずに頑張った者だけが獲得する 権利だ



たまに 自分の言葉に 酔う時がある(笑)

俺の脳は、そんな風にできているらしい(撃沈)





2016年9月23日金曜日

洞爺湖と支笏湖

三連休 遊びまくってやったぜ

昨年の茂辺地キャンプに続き
今年は仲洞爺キャンプ場だ

20年前に一度行って
子供たちも凄い満足して帰ってきた記憶がある

最近の高額なオートキャンプ場とは、一線を画する

安くて、綺麗で、ワイルドで、湖畔の直近にテントが晴れて
ペットがOKで、夜は焚き火もOK
近くに温泉があり、炊事場も多く、管理人も優しい

なんといってもゴミの処理に困らない徹底した分別と
収集場の整備は、本当にありがたい

夜中にドンちゃん騒ぎする輩もいないし
キャンプする人達のモラルが高い

そんなお気に入りの 仲洞爺キャンプ場

20年前の記憶を辿りながら
着いたのは午後2時ころ

なんと!!・・・・・超 満員

テントサイトなんて区分してないから
何処に張っても大丈夫だけど
それすら 空いてない

三連休の午後に到着すれば こんなもんかぁ・・・・
20年前は全然余裕だったんだけどなぁ
とか、オッカちゃんと愚痴りながら
負け組みの俺たちは
周辺をグルッと廻って
やっとテントが張れそうな場所を発見

それは、駐車場横の芝生(>_<)

まぁ イイかぁ
車の心配することないし
荷物だって直ぐに降ろせる
考えようによっちゃ     これは  オートキャンプ場だ

炊事場まではチョット遠いけど

ベテランキャンパーの俺たちにとっちゃ
そんなこともアウトドアの醍醐味だ!!


負け組みならではの納得の良さ


普通ならこんな場所で
キャンプする奴なんて いないわ(笑)

管理人に確認したら
「あんた達がイイなら、いいけど・・・」
みたいな曖昧な返答だったので

「全然オーケーでぇ~っす!」 と元気よく回答してやったぜ

むしろ、あずましくて イイわ(^^ゞ

最初は俺たちしかいなかった
駐車場横の芝生サイトも

時間の経過と共に 徐々に 負け組み が集まってきた

 「ここぉ~ 張っていいんですか?」

「あぁ イイみたいだよ
    管理人に確認とってあるから」

「混んでますよねぇ~」      ハッハッハ



と何故か
お互いに 笑い出す 負け組みの連帯感

まぁ こんな時間に来て 空いてるわけがない
キャンプ人口って 増えてるんだねぇ

そんな、駐車場での意外と楽しいキャンプ場を後にして
翌日は

支笏湖でカヤック遊び
 生憎、鏡のような湖面ではなかったけれど

少しぐらい波があったって
俺たち冒険家族はヘッチャラさ

いつもは、インドアな次男も
この日ばかりは、子供のころを
思い出して楽しそうだった

漁師の血は、脈々と受け継がれていることを実感する(^。^)

俺は一人で乗りたいんで
センスの欠片もないオッかちゃんは、次男に預けた

マザコン息子と子離れできない母親には
ちょうどいいべ(^◇^)


透明度もイマイチだったけど

遊びに来たときは
どんな状況だろうと 楽しむ


せっかく遠いところまで来て
ガッカリして帰るよりも

楽しくなくても

これが楽しいんだ!!

楽しい と思い込むことが大事だ(*^_^*)

そして帰りの車の中では

「いやぁ~ 意外と楽しかったなぁ?」という会話しかしない
という、暗黙のルールを作っておく

それが 我が家の ルール

洞爺湖も支笏湖も

意外と  楽しかったぜ

年一回のキャンプ

来年は何処に行こうかなぁ~
楽しみだなぁ~








2016年9月13日火曜日

社外エアロ

会社の外で エアロビクスやってます

ちゃうわい!!

ワシのマイカーに 社外エアロ ば換装したんじゃ

そうや
いい歳こいて
社外のエアロパーツを換装したんじゃい

しかも、タイヤがチョビッと はみ出してしもたけん
バーフェンまで付けて ツライチ ですわ

もちろん、そこは公務員じゃけ
全て車検対応に決まっとるでごわす

バーフェンは、構造変更申請が要らない 9ミリですたい

ただ
社外はやっぱり ピッタリフィット とは行かないのは
最初から覚悟はしていたものの

まぁ でも今回換装したメーカーのエアロパーツは
今までの中ではフィット感はピカイチです


でも・・・・・やっぱり気になる 神経質な俺

たったこれだけの隙間でも
その内、細かな泥が入り込み
両面テープが利かなくなって

終いには剥がれて
カパカパになって
どうにもこうにも行かなくなる
それが社外エアロの 宿命



そんな経験を
過去何回もしてきた

TRDもモデリスタも カッコイイし
純正品は 気持ちがいい程 ピッタリ収まるのも 知っている

でも、敢えて 社外にしたのには理由がある

こっちの方が カッコイイからさ・・・・・単純明快


んでもって

やっちまいました 隙間埋め作業

先ずは
カーブを描ける細いマスキングテープで養生

その後から 太いテープを被せて
キッチリ 養生

その辺は、性格が現れる





そして
ホーマックから312円で買ってきた
コーキング剤

コニシ ボンドシリコンシーラントで
きっちりコーキング



更に
5ミリのヘラで
余計なコーキング剤を除去


乾かないうちに
素早くマスキングテープを剥がす

へっへっへ

予想外に旨く行ったぜ

バーフェン  6分割 完了!!




この調子で
FとRのスポイラーも

一気に仕上げた

成功 成功  大成功 ヽ(^o^)丿


いまでも
気持ちは 免許取立て 18歳

行啓通りと漁火通りを 行ったり来たり・・・・なんてことは していない

 公務員ですから!!


いつも俺たち傷だらけ
汗にまみれて陽が暮れる

だけどハートはジミーのように
とびきりいかした lonely angel

しらけていたって 時は過ぎるし
だまっていても 朝は来るけど

キラメキ求め 走り出すのさ
夜風に誘われ
飛ばすぜ Higiway

オールナイトのステージ           by Johnny ジェームス・ディーンのように

ってなわけには
流石に行かないけど

車いじってるときの俺は

あの頃の lonely angel のままさ    (^^ゞ







2016年9月7日水曜日

40年前

いい歳こいて 未だに

四輪車 大好き
二輪車 もっと大好き
自分の脚で走るのは   超大好き

夢を叶えられるなら
パリダカに出たい
鈴鹿8耐にも参戦したい
水と食料を背負って サハラ砂漠を
ぶっ倒れるまで走ってみたい

そんなことを考え始めたのは
もう40年も前のことだ

そんな  ある日

あれは やってきた

夏休みが終わり
授業になんか、まるっきり身が入らない
昼休み終了後の 超 眠い時間帯

楽しかった海岸での日々を思い出し
3階の教室の窓から  ボォ~ っと空を眺めていた
俺の頭上を、とんでもない爆音と共に

そいつは やってきた

ミグ25戦闘機


「なによ 今の!!?」
「ジェット機 だ  ジェット機 凄ぇな」

と、一人が騒ぐと、釣られて みんなも騒ぎ出す
典型的な 17歳

とんでもないことが起きそうな予感を察した  俺たち

何事もなかったように授業を進める 教師

「日本の自衛隊機が こんな低空を飛ぶわけないべや」

そんなことぐらい
いくら、はんかくさい俺たちでも 解るさ

俺たちは この無頓着な教師から 何を教わろうっていうんだ?

その日から
津軽海峡は厳戒態勢に入った

親父の   「ロスケ が攻めでくる」  と言った言葉が忘れられない

漁に出ることはできない
今の時代、そんなことが起きるのか?
当時は東西冷戦、そんな時代だった

東西って どごよ?
アメリカとソ連だけだべや

やっぱりはんかくさい17歳は
そんなことぐらいしか、考える知識がなかった

親父たちの世代は 旧ソ連のことを ロスケ って呼んでた
ロシアの人達 ゴメンなさいm(__)m
今は、そんな呼び方する日本人はいませんよ

日本人が ジャップ と呼ばれていたのと同じです

40年前
そんな遠い昔の話ではない








2016年9月5日月曜日

打ちのめすつもりが・・・・

完膚なきまでに・・・・
とは行かないまでも

台風10号の奴
よりによって、俺んとこの左側を通りやがって

台風は反時計回りだから
右側は台風の風と移動の風が同じ方向で
「倍付け」 になって、風が ワヤ強いってのは
おそらく小学生でも解ってる話

今回は、まともに喰らっちまった

風が強いぞ!!
用心はしていたものの
風そのものを止めることは誰にもできない

暗くなった夜の街中を
屋根は飛ぶは、トタンは宙を舞ってるは
ゴミステーションは道路を縦横無尽に転がってるは
建物の損壊はかなりのものだ

でっかい木も倒れ、電線を切断し
3日間も停電になった

消防には非常電源があるから
燃料さえ確保できれば
指令業務に支障が出ることはない

でも、住民の方たちの家は、そんなものあるはずもなく
夏場の停電は冷蔵庫が利かなくなり
保存してあった食料は廃棄するしかなかった

国道沿いの大きな松の木が倒れ
急ブレーキが間に合わず車が突っ込んだ
幸い、怪我人は出なかったけれど
もう少しタイミングがずれていれば大事故になるところだった

直径1メートルもある大木が風で倒れるなんて・・・・

瞬間最大風速は消防署の観測で
36メートルだ
こんなの経験したことがない

119番は鳴りっぱなしで
最新鋭の指令台でも、その処理能力を超えてしまった
おそらく通じなくて、電話を切ってしまった方もいたかもしれない
119番は住民の方と消防とを繋ぐ 命綱
被害が出そうな事案は応急処置を施し
被害が発生してしまった事案は
二次災害防止の処置しかできない

台風が通り過ぎ、一時は治まった119番も
夜明けと共に、被害が明らかとなり
再び、鳴り響いた

通報内容を聴取し
現状で危険と判断し、緊急を要する事案から
優先順位を決めて対応し
それ以外は、家族で、隣近所で、町内会で
対応してもらうことをお願いするしかなかった

そして、とうとう管内の大動脈である道道が
決壊して通行止めになってしまった

道路に土砂が崩れたのではなく
道路自体が崩落した

これは復旧までに相当時間がかかる

陸の孤島になってしまったわけではないけれど
迂回しての救急搬送に遅延が生じ
火災などの第1出動でも到着が遅くなる

相互応援協定に基づく対応を隣接の消防にお願いし
なんとか乗り切って
住民の生命身体財産を守り
安心安全を確保していかなければならない

一日も早い復旧を願うばかりです


こうして、地球は、
「もっと凄いことが起きるかもしれないぞ?」
「ちゃんと事前準備しとけ!!」

 と 人間に警告を発している

そのことに無頓着でいることは
決して、許されない





2016年8月29日月曜日

台風って 恐いんだ

立て続けに北海道を襲った3っつの台風
道南地方は若干暴風域には入ったものの
何とか逸れてくれた

こんな時期に北海道に3っつも台風が来るなんて
あんまり記憶にない

道東地区では犠牲者も出てしまい
土砂崩れで孤立した地区や
避難指示や勧告が出され、甚大な被害が出た

常呂町は毎年お世話になるSAROMAのゴール地点

俺の夢と希望、挫折と再起、士気と行動力
そして、ネガティブとポジティブの交差点

その源である、あの地域が被災している
なんとか早く復旧して
元の雄大で穏やかな北海道に戻って欲しい

でも、今度は台風10号が 怪しい動きをしながら
道南を目指しているようだ

あっちに行け!

と追い返せるなら  と思うけどそうも行かない
自然の驚異

破壊力との戦いが避けられないなら
少しでも被害を小さくすることが大事
その為に やることは

事前準備 しかない

横を通り過ぎて行った 台風を見て
気が緩んでる道南地域の人たちに

いや、むしろ防災に携わる 俺たち自身に

津波が来たって・・・・・ 大したことはない
地震だって・・・・・大したことなかったし
台風だって・・・・・大したことないべや・・・・きっと

正常性バイアスに支配されないように
しっかりと事前準備して

台風10号を、返り討ちにしてやるぜ

来るなら来やがれ!!





2016年8月15日月曜日

戦争反対

8月15日

世界各国で捉え方は様々だけれど

ポツダム宣言を受諾した翌日に
天皇陛下が玉音放送により
日本の無条件降伏を国民に伝えた日

それが8月15日 終戦記念日

8月6日に 広島に人類史上始めての原爆が投下され
3日後の8月9日には、更に長崎にも投下された

この2回が
地球で核兵器が使用された最初と最後にならなければならない

3回目は 絶対にあってはならない

戦没者を追悼して、平和を願う日

この8月15日が、この先変更されることがあってはならない


戦争は終わった
もう二度と戦争をすることはない
地球上に「兵器」と言われる
人を殺すための道具があってはならない

国と国がその威信をかけて戦うのは
オリンピックだけにしてくれ
そして、勝っても負けても
お互いの健闘を称え合う


戦争反対だ

絶対に反対だ



でも、もし日本が某国に攻められたら

俺は戦うかもしれない

国と家族を守るために・・・・・


そんな矛盾した考えも、脳裏をよぎる

そうならない為に
戦争反対を叫び続ける

絶対反対だ

絶対にだ








2016年8月8日月曜日

涙が・・・・

それほどまでに

この国を 国民を

思っていて下さったとは

天皇皇后両陛下が慰霊で訪れたペリリュー島で
頭を下げた、あの時の思い

災害があるたびに被災地を訪れ、被災者に寄り添う姿

いつも、いつの日も、心は国民とともに・・・・


その行動が難しい年齢になってきたという
天皇としての行為が全うできないなら
その行為そのものを減らせばいいのか

それとも退位して次に譲位すればいいのか

崩御された後の追悼と、新天皇誕生の祝賀
家族としては辛い一年になることは間違いない

その全ての思いを語られた 天皇陛下

その お気持ちに

涙が止まりませんでした



『 国民の理解を得られることを、切に願っています 』

と最後に語られました


私たち国民も 天皇家の幸せを願っています





2016年8月6日土曜日

ひろしま

あの日の8時15分

絶対悪が広島の  街を   人を   歴史を
一瞬で地獄へと落とした

日本だけの非核三原則に何の意味がある

核兵器のない 存在しない 世界

それが、日本人と被爆者たちの思いだ

ボタン一つで何人の人間を殺すことができるかを競い合い 
挙句の果てには15000発も作っちまった

地球を壊す気か?


戦争反対
核兵器反対

狭く小さい地球で
未だに争いが絶えない

俺たちは 人間は  この星の生物は

   いったい なにやってんだ





2016年7月29日金曜日

晴れた日は

こんなにも雨が続くと
先日の震度6で地盤が緩んでる箇所が心配

それと
せっかく夏休みに入った子供たちも可愛そう
北海道の学校は夏休みが短いから
密度を濃くして、目いっぱい遊ぶ

これが短い北海道の夏の
正しい過ごし方だ

今週は、雨が続く予報だったので
土曜日の晴れた日は
今年初のバイクに火を入れ
保険も8月まで残ってたので
渡島半島をグルッと周ってきた

周ったと言っても
いつものナンチャッテツーリングのコースだけど

先ずは
忘れかけたコーナーリングの感触を
思い出すために

城岱スカイラインを  攻める

250ccのスクーターで  攻める  攻める

スクーターだろうが
排気量が小さかろうが  2輪は2輪
傾けて なんぼ の世界だ

眼下には
雄大な大野平野が広がり
向こうには北斗市が観光スポットとして
力を入れている きじひき高原が見える


以前は、こんなでかいバイクに乗ってたんだけどなぁ

今乗ってるスクーターの排気量は これの1/6になっちまった(^^ゞ

まぁ
その分 気合を入れないで
のん気にゆったり バヤァ~っと 出かけられる利点はある



こんなバリバリにまがなって
大勢で千鳥走行していた時代もあったけど

なんだか一人で 計画もなくお金もなく
曲がりたいところを曲がって
休みたいところで、休む

最近はそんな ソロツーリングに
魅力を感じ始めている

歳とった証拠かなぁ(^。^)

北海道にも
こんなきれいなマリンブルーの海がある

乙部の元和台

日本海側は特にきれいだ
透明度の高い海を見ると
また、潜りたくなるけど・・・・・


あれもこれもって
多趣味を更に広げると
でっかい雷様が落ちてくる可能性大なので

流石にダイビングは封印している

再任用で現場に戻ったら
また、水難救助隊に入れてもらおうかな・・・・足手まといか(笑)

っていうか
救助隊は、何年も現場を離れた俺が務まるような
そんな生半可なもんじゃないです・・・・・・・失礼しましたm(__)m

翌日も天気が良かったので
軽トラにオッカちゃんとホッキ貝を乗せて
鹿部町の知人宅へ

ちょうど昼時だったので
以前からオッカちゃんが行きたいって言っていた

太田食堂へ連れて行った

この食堂
知る人ぞ知るっていうか
地元でも大人気の超有名な食堂

店内に入ったら  満席!!

「30分後にまた来まぁ~す」と伝え
あんかけ焼きそばとカツ丼ラーメンセットを注文して
一度店を出ました


その間 何処へ行くかと言うと
もちろん

神社巡り

とりあえず 宮浜にある 鹿部稲荷神社

漁師町にある 漁業守護神


手水舎も 手入れされていて

周りには網を張巡らせていた・・・カラス対策かな?

とても、いい感じの手水舎でした









水も澄んでいて、竹や柄杓もきれいで

先ずは
罪や穢れだらけの俺を、水で洗い流し
身も心もここで清めてから
お参りする

龍神様に見つめられ
いざ 社殿へ


凄い!!

整備というか手入れと言うか
とても行き届いていて

氏子さんたちの想いが伝わってくる

そんな威厳と風格が
この神社にはありました


そして

ちょうど30分後に太田食堂に戻って

5分ぐらいで出てきた あんかけ焼きそば

えらい量だ

しかも、これより更に大きい
『ジャンボあんかけ焼きそば』というものもあるらしい


味も絶品だと
オッカァが言ってました



遅れること2分

俺のカツ丼ラーメンが姿を現した

割り箸やレンゲと比較してもわかるように
デカイ 多い



「こったらに誰 喰うのよ?」 っちゅうぐらい

一人前のカツ丼と 一人前のラーメンが
そこにあった

太田食堂
噂は本当だった
聞きしに勝る 人気ぶりと 味の良さ そして量

満腹での帰り道

シートベルトが腹に食い込みました

さて今週は雨続きだし

土日は晴れると イイなぁ