この先にあるもの

公務員卒業
自分の気持ちを最優先に、この先のことは少しづつ考えながら
赴くままに生きてみたい。

2012年11月28日水曜日

53歳

気がつけば誕生日が過ぎていた
とうとう53歳だ

親父の知らない
未知の世界へ突入だ

最近 白髪が増えてきたなぁ
染めようかなぁ

誕生日を含む三連休
23,24,25に何をやってたかというと

息子の運転する車の助手席に乗って
教習の先生だ

高校卒業の時に免許を取って依頼4年間
一度も運転することなく大学生活を送った息子

どんだけ下手くそなんだろうと
期待もせずに渋々助手席へ

いや 本当は渋々じゃない
本当はこんな日がやってくることを
長いあいだ心待ちにしてたんだ

息子とふたりで車の練習

口うるさく言う俺に
息子が逆ギレ

そして遠出の帰りには
どこか美味しいラーメン屋で今日の反省会
そこのラーメン屋でも、しつこく車線変更があ~だこ~だうるさい俺
息子の呆れ顔・・・・

そんな親子の情景を夢見てたんだ

スゲェ小っちゃい夢だけど
こんな日が来るとは、あまり現実味がなかった

この三連休は それが現実のものとなり
俺のしつこさは想像以上で
息子の運転技術は、想定してたよりも下手くそじゃなかったww

ようするに、もっと下手くそだと思ってた

まぁ、車庫入れや バックはハンドルをどっちに切れば
車体はどうなるのかという挙動がイマイチつかめてないけど
これは、時間が解決してくれるだろう

俺が教えることは ただひとつ

安全確認だけだ

これさえできれば事故は防げる
そして事故を起こしてしまった時の対処も教えなければならない

なんたって4年間一回も運転してないんだから
超初心者だ

嬉しいことに、息子がよく俺に言ってくれる言葉がある

「お父さんは 運転がうまい
   消防車の運転してたんだから
     教習所の先生よりも確実にお父さんの方がうまい」

息子は俺が日本一運転がうまいと思ってる(^^ゞ

実は俺もそう思ってるww・・・・・・アホ親子か( ´∀`)

素直に喜べばいいのに
その言葉に変に反応する俺

「いいか うまいっていうのは スピードを出せるとか
     狭いところをスイスイ進むとか そういうことじゃないんだぞ!!」
「どれだけ安全確認ができてるかってことだ・・・・・・」

まぁそんなことを言いながら
三日間 息子の助手席でサイドブレーキを握り締めながら
しゃべり続けたヽ(*´∀`)ノ

もう、あとは イイかな
いつまでも助手席に乗られるのも嫌だろうし
俺も正直 自分の用事が足せなくて 困ってたしね

俺のジムニーは お前にやるよ
気に入ってくれてアリガト

俺はゼットに乗るさ








ハイゼット    



軽トラだけどね(^▽^)




2012年11月21日水曜日

管理職会議

今日は組合の管理職会議

俺たちは管理職であっても
災害現場に出動する立場
現場第一主義の活動部隊だ

活動服での出席を申し出ても受け入れてはもらえない
所詮、制服組は、災害現場は無関係か・・・

っていうか消防も「制服組」っていうのかな??

まぁそんなことはどうでもいい

問題は会議の中身だ

議会の資料に目を通し
進行が読み上げる
ただこれだけ

組合幹部が制服着て
遠くから集まって、資料を再確認して質問がなければ終わり

そんなんじゃメールで配布して
「読んでおいて下さい」でいいんじゃねぇ~か?
顔を見るならスカイプでも使ってパソコン上でやればいい

なんもなく30分ぐらいで終わりそうな空気だったので
議会での一般質問の件について
ちょっとだけ投げかけてみた

内容は守秘義務が課せられてるので ナイショ

2年目の今でも管理職の中では最年少だから
怖いもんは何もない
くだらないことでも、今更?っというようなことでも
何でも掘り返して聞いてみる

消防長は「またお前か」みたいな視線を俺に送るけどww

会議に来て 一言も喋らずに
「おはようございます」
「お疲れ様でした」の2回しか口を開かない会議なんて
そんなもん 必要ない

それでも喋るのは消防長と進行と俺だけ・・・・・・

せっかく会議開いてるんだから
もっと激論を交わそうよ
みんな同じ意見なわけないんだから

管理職になる前は
管理職の悪口言ってたでしょう?

あいつらが会議に出ても
消防長や署長の前ではなんも喋らないから意味ない とか

俺も悪口言ってた一人だったけどね
むしろ先鋒かも(^^ゞ

今自分が部下にそんな目で見られてるとしたら
何のために管理職になったのか
それこそ 意味がない

その時 歴史が動いた

そう言われるぐらいの働きをしようと
俺は決めた
自分のために仕事をするのは
辞令を受け取ったその日から やめた

おかげで
日々 悪戦苦闘だ・・・・・それが楽しい






2012年11月18日日曜日

おかえり

今日は特別な日

息子が8年ぶりに帰ってきた
俺のところに戻ってきた

おかえり
ここがお前の家だ

走り続けて
たまには転倒して
起き上がって
時にはトップを独走し
時には周回遅れにされ
喜びや悲しみや苦しみや悔しさ

すべてを経験して
俺のところに戻ってきた

全日本が終わってから2週間
短いキャンパスライフを満喫したみたいだ

陸上部以外の仲間はいないだろうと思っていたのに
ゼミの仲間と温泉旅行に行ったり
先輩と朝まで呑んだり
恩師に挨拶し
高校の時の寮のオバちゃんに会いに行ったり
タバコを吸ったり 寝坊したり 夜更かししたり

普通の大学生がする
普通の大学生活をこの2週間過ごしてたみたいだ

札幌に思い残すことはないかな?
そんなことはないよな
いつだって、思い出すし また行きたい

俺だってそうだ
今だって東京に行きたいと思う時があるし
あのまま東京にいたらどうなってたかな?

なんて、考えることがある
でも、それは現実的じゃない

懐かしく思える自分が今あるから
過去を綺麗な思い出にできる

息子にもそうなって欲しい
これからまた新たな試練がいっぱいある

向かっていくのもいいし
避けて通るのもいい
まわり道しても
少し後退したっていい

つま先が 目指すところを向いてれば
それでいい

あぁ明日から
ただいまァって帰宅したら

でっけぇ息子がいるんだな

ウザってぇ けど 楽しくやるさww

2012年11月15日木曜日

オッカちゃんが  いない

月曜日から今日まで
そして 明日も

俺は5日間連続で
朝食はカレーライスを喰ってる

大好物は?
と聞かれたら 先ず第一に カレーライスと言うだろう

しかし 誰が作ってもイイとは限らない
一番美味しくて 今も鮮明に覚えてる味がある

まぁ一番は オッカちゃんのだけど・・・

2番目に美味しいカレーと
3番目は忘れられないカレー

ひとつは東京都多摩市永山駅のガード下にあったカレー屋さん
独身寮にいた時
月に一度だけ、そこのキャベツ入りのカツカレーを食うのが
俺の楽しみでもあり、モチベーションを維持させるための
大事な行事でもあった。

あったというのは 今はないということで
当然俺は消防大学校に入校したときに
真っ先に行ってみた

食べれることを信じて ヨダレが出そうなくらい楽しみにして
京王線を降りた・・・

なかったんだよね

そこにはでかいパチンコ屋があって
俺が青春を過ごした永山駅の
ガード下はまるで違う場所のように
景色が一掃されていた・・・残念

そしてもうひとつは
新宿駅のカレー
券売機でメニューを選び
出てくるのはステンレスの器に入った
犬の餌みたいなカレー

俺はそこで初めて
カレーに生卵をかけて食べることを覚えた

東京の人間はこんなもん食ってるのか
まるで、今日一日動く燃料を補給してるようなもんだな

でも俺にとっては忘れられない場所

初めて買った中古のセリカのリフトバッグ
そしてはじめて走った花の東京ど真ん中 新宿

そして初めて事故った 新宿住友ビル前
横から来た乗用車に追突され
その弾みで対向車線にはみ出し
止まっていたタクシーに衝突
対向車線を走ってきたランクルに激突され
4台の大事故
しかも新宿

奇跡的に誰も怪我をせず
俺の車は、運転席だけが追突を免れ
他はメチャメチャ
見るも無残なスクラップ状態だった

事故処理が終わり
残ったのは24回払いの借金・・・残りは22回

肩をがっくり落とし
電車で帰るために歩いて向かった新宿駅

人生最悪の日だった
いや、あれだけの事故で誰も怪我をしなかったのは最良というべきか

そのとき食べたカレーが忘れられない
三角の場所の角にある 狭い立ち食いのカレー屋

忘れられない

ということで 何故 5日間もカレーを食ってるかというと
オッカちゃんがいないのだぁ~

とうとう逃げられたのだぁ~
5日間も帰ってこないのだぁ~

ってわけではない

息子の引越しの手伝いのために
俺とバアちゃん二人を残して札幌に行ってしまった

「あんた カレー好きなんだから
私のいない間、カレーだけで我慢できるよね」

「ハイ 我慢します」

んわけで 明日の朝も カレーだ
嘘か真か カレーは日が経つと美味しくなるっていうけど
本当かもしれない
事実、毎日味は変わってるような気がする・・・・

それとも カレーばっかり食って
味覚が麻痺してきたか?

いずれにしても俺のカレー生活は 明日で終焉を迎える


明日はどんな味するんだろう
楽しみだ

2012年11月9日金曜日

薪ストーブ

今年もまた
これのお世話になる季節がやって来た

家を建て替えたときにチョット無理して
長年の夢だった 薪ストーブの導入に踏み切った

本当はオール電化のコンクリート住宅という
火災とは無縁で安全な建物ということをコンセプトに
進めていったこの家も

思いっきり 煙と炎が出る薪ストーブの魅力には勝てなかった
っていうか
我慢できなかったヽ(*´∀`)ノ

木造住宅では貫通部に必ず入る メガネ石 などもコンクリート住宅には無用
1階から2階を通ってストレートに屋上まで煙突が伸びている

この薪ストーブのお世話になって今年で4回目の冬がやって来る
床暖と蓄熱暖房の二段構えで、思いっきりオール電化のこの家も

年内は床暖の最低セッティングだけで 家の中は年中 半袖
流石に寒中は床暖だけでは肌寒い
セッティングを高くすれば暖かいんだけど
電気代がもったいない

そこで薪ストーブの出番だ

この暖かさを経験したら 
他の暖房器具なんて 比較にならないくらい
柔らかい暖かさで家中がポカポカ

っていうか 逆に熱いくらい(^^ゞ
家中真夏に逆戻りww

というわけで
先日、2回目の煙突掃除をやってみた

1回目は2年前
人生初めての煙突掃除
煙突を外して袋を被せて・・・・ってスゲェ大掛かり

あぁなんだか面倒だなぁ と思いながらも
悪戦苦闘してリビングもなんとなく煤の臭が漂って
オッかちゃんの不穏な空気も漂って
やっとなんとか終了したって感じだった

煙突掃除は毎年やらなくても
乾燥したいい薪を使えば2年に一回ぐらいでいいよって
設定してくれた業者さんが言ってたので
昨年はパス

今年は意を決して人生2回目の煙突掃除

ネットで色々と調べた結果
すごい簡単な方法を発見

それが これ

煙突は外す必要なし

ストーブの天板だけを外して

煙突に通じる穴に
ビニール袋をテープで引っ付けて
準備完了

ストーブ自体は
春のシーズンオフに掃除してあるから

なまら短時間で準備が終わった

時間にして5分 ワヤ簡単






後は屋上に上がって
上から ゴシゴシ するだけ

家の煙突は真っ直ぐだから
何の抵抗もなくスルスルと入っていく

結果はこの通り

ストーブ回りを養生することもなく

煤を舞散らかすこともなく

煙突の煤は見事に全てビニール袋の中

きれい 早い 簡単 の三拍子

これなら毎年やってもイイかな

でも2年でこれくらいしか出ないなら
大丈夫か








今シーズンも 焼き芋を焼いたり
ダッジオーブンでワケの判らない料理作ったり
楽しみだなぁ

やっぱり人間は 炎 を制し
炎と上手く付き合い
炎に助けられて生きてきた生き物なんだなぁって
つくづく思う

だから俺は
たまに炎が暴れ悪さをするのを防ぐために
消防士になった

なんちゃって (^▽^)

今思いついただけぇ~  へへ





2012年11月4日日曜日

1分39秒

ラストラン

第44回全日本大学駅伝

第1区を走る息子を
朝からジッとテレビで応援していた。

昨日、テレビ番組で全日本大学駅伝の特集があり
たまたまスポーツクラブで、それを見ることができた。

北海道のチーム紹介で主将の息子が
インタビューに応えていた。

「いままでお世話になった方々への感謝の気持ちを込めて
いろんな思いを背負って 一生懸命走りたい」

競技生活にピリオドを打つ 息子らしいコメントだなって

親の俺としては
今まで、いろんなこと背負ってきたんだから
最後の駅伝くらいは 楽しく リラックスして
思いっきり走って、悔いのないようにして欲しい

それだけが願いだ

スタートから互いに牽制し合うスローペース
これは、ラスト10キロ過ぎからのスパート合戦だ

第一集団の後方に食らいついていたが
徐々に第2集団になり
ラスト3キロは帝京と争っていた。

関東の大学に負けるな!!

それが俺たち親子の 合言葉(^^ゞ

スタート地点で笑顔でいた息子を見た オッかちゃんは

「緊張していない リラックスしてるの初めて見たね」って言っていた
正しく俺もそう思っていた
今日はいい走りができる予感がしていた

結果は18位で襷を渡した
でも、トップとの差は 1分39秒だ

14キロ走って 1分39秒
この差は
いつも1区を走る息子の今までの駅伝記録では最短だ
しかも、競いながらの中継点をテレビで見たのも
初めてだった

熱い走りをしたんだな 
最後の思いをぶつけたんだな
最後にいい走りが出来て よかった
本当に良かった

息子の走りが終わって
一息ついていたら

なんと!  息子から電話!!

今まで中学校から10年間の競技生活の中で
走り終わってから 電話なんか かかってきたことなんかないぞ?

これは もしかしたら

もしかしたら

「お父さん お母さん 今まで 支えてくれてありがとう」

とか

「最後の走りが終わりました お世話になりました」

とか そんな感じの電話じゃないか?

お前出ろ!
やだよ!
俺は出ないぞ そんなこと言われたら俺泣くからな
いいから お前出ろ
あんた 出なさいよ あんたに電話なんだから・・・・

そんなことしてる内に 電話は切れてしまった(;゚Д゚)!

恐る恐る こちらからかけ直してみる・・・

息子はすぐに出た

「よぉ 頑張ったな」 とか言いながら
息子の次の言葉を待っていた

ついに ついに その言葉を言われる時が来たのか?

「あのさぁ ネット混雑してて、繋がりづらくなってるから
リモコンでdボタン押してさぁ
順位と時間差が出るから 写メ撮って送ってくんない?」

「あっ そ そうか わかった とにかく おつかれさん・・・・・・」

「じゃ頼むね」

あれっ!? それだけ?

あのぉ 今まで・・・とか  お世話に・・・・とか

感動するような言葉は   な い の か な ・ ・ ・

現実はそんなもんかww

その後は、この写メを
中継の度にひたすら撮って 息子に送りました(^^ゞ
















やれやれ
レースの度に ヒヤヒヤ ドキドキ の連続だった
俺たちの肩の荷も これでやっと降りたか

長いようで短いような10年間だった

おっかちゃんと 顔を見合わせ
ニコって 

「終わったね お互いご苦労さま」