この先にあるもの

公務員卒業
自分の気持ちを最優先に、この先のことは少しづつ考えながら
赴くままに生きてみたい。

2014年6月26日木曜日

Wカップ

石原さとみ と一緒に 鏡月が呑みたい
今日このごろ

早起き週間も一段落
4年に一度、数日間だけサッカーファンになる俺も
流石に今回の日本代表は、残念だったなぁ

世界の壁は、まだまだ高いってことか

でも、それにチャレンジしていくからこそ
応援したくなるし
この数日間だけは日の丸、君が代を否定する人はいない

にわかファンの俺たちは
日本代表の頑張ってる姿やチャレンジ精神を
見たり、聞いたりして
挑戦し続けることが大事なんだ。と言うことを
教えてもらうことが出来る。

失敗したら、また挑戦して頑張れれば、それでイイ
立ちはだかる大きな壁が、10年や20年で
そんなに簡単に崩せるわけがない。
だからこそ、挑戦する意味がある。

積み重ねることが大事だ
そして、いつかは絶対に倒せるんだと信じることが
尊いことなんだと、選手たちは教えてくれた。

打ちのめされた日本代表の涙
本田と長友の涙は、負け犬の涙では絶対にない
香川や長谷部の落とした目線は
起き上がるための一段目の階段だ

4年後
また、絶対に応援します

ガンバレ にっぽん!!

監督は日本人がいいなぁ
岡ちゃん、またやってくれないかなぁ













2014年6月15日日曜日

少なっ!

今日は、自治会の避難ウォーク

二つある津波の避難路を歩いてみよう
ということで、今日はその2回目だった

前回は初めての避難ウォークと言うこともあって
参加者は多かったけど

今回は 自治会役員とその家族・・・・・20人ぐらい(>_<)

会館に集まって出発は午前10時

予定は、目的の一時避難場所までユックリ歩いて45分
帰りは、裏道の神社を回って やっぱり45分

3.11から3年が過ぎ
地域の人達も記憶や意識は薄れてきてるのかなぁ・・・

そんなことじゃ
あの大災害で犠牲になった方々に申し訳が立たない

せめて、生きた自分たちは
次に、同じ津波が来ても、絶対に逃げることを決めたはず

そして、避難所での過ごし方や
自主防災組織を立上げ、地域の協力体制を築き上げてきた

そんな、決意も やはりワールドカップには勝てなかったということか
日本代表のキックオフと、同じ日の同じ時間だもんなぁ

決して、津波に対するみんなの意識が低下したわけではない

今日の避難ウォークはしょうがないかぁ
やっぱり、日本代表の初戦をテレビで応援したいもんなぁ

わざわざ今日のこの日にやらなくても・・・
というのが、やっぱり大多数の意見だよなぁ

正直、俺も本音はそうだった

自治会の役員だし、しかも消防職員だし
そうじゃなかったら、俺も今日は家でサッカー観戦だったと思う

俺たちは、住民が避難訓練や体験ウォークに参加しやすいように
工夫することも必要だ
決まってる予定だからと言って強行する必要もない

参加してもらって体験することが目的なんだから
大勢の人達が集まってこれるようにするのが
主催者側の務めだね

今日はサッカーが終わった午後からにすれば
参加者も多かったかなぁ
日本代表の話で盛り上がりながら
体験ウォークが出来たかもしれない

状況判断と決断実行

避難訓練は一度だけじゃないし
今度は大勢集まれるように工夫してみよう

それにしても
コートジボワール戦   惜しかったなぁ  悔しいなぁ

次は 頑張ってくれよぉ~










2014年6月5日木曜日

決まりそう

何がって

新幹線の駅名が
やっと決まりそうだね

駅名が決まらず、なにかと話題の多い北海道新幹線ですが

実は北海道最初の駅は
ここじゃなくて、木古内駅 なんだよね

あちらは、アッサリと単独名で 決まり

そして こちらの駅名は両市落としどころが見つからず
JR北海道に一任したら
なんと、道の意見を聞いて決める なんてことに・・・・(>_<)

まぁ 一任したってことは
決め方も一任したんだから 

なんも言えねぇ  けど

決まりそうな駅名は



新函館北斗

新函館北斗

新函館北斗  です


俺的には どっちの名前も使わずに

そのまんま 「南北海道」とか「蝦夷」とか

他には、なんかカッコいい アイヌ語とかがあれば
使って欲しかったけど

とりあえず  新函館北斗 に決まりそうなので

後は しっかりと両市仲良くPRだな







2014年6月3日火曜日

夏い!!

いやぁ~北海道は 夏い!!

なんたって本州よりも暑いんだから 驚きだわ

先週の金曜日は
隣の市消防本部のみなさんとのナイトミーティングがありました

当消防本部から15名
隣市消防本部からは16名
総勢31名によるビッグな交流会でした。

そこでサプライズな再会がありました。
忘れもしない、平成5年7月12日
北海道南西沖地震により奥尻島青苗地区が
大津波に飲み込まれてしまった。

召集により消防で夜を明かした俺たちの目に飛び込んできたのは
現実とは思えないほどの青苗の惨状

「津波に襲われたのに火災が発生?」

当時、まだ地震や津波の知識が薄かった俺にとって
頭を整理できない状況にあったけれど

追い打ちをかけるように
更に整理できない情報が俺に入って来た

「函館消防の水難救助隊と一緒に、お前行って来い!!」

「はぁ!? 俺、水難救助隊じゃないっすよ?」
「第一 うちの消防に水難救助隊なんて ないし・・・・」

次の日の夜 俺は消防長からの至上命令により
初めて、北海道広域消防相互応援による派遣隊員になっていました

その時の水難隊長に交流会で再会

お互いに、なんか見たことある顔だなぁという感じで
酒の席は進んで行ったけれど
3.11の話になり、更には1.17  そして7.12の話題へと

当時は、まだ緊急消防援助隊という制度はなく
東京消防庁の水難隊や警視庁の水難隊も応援にきてくれて
海保と海自が指揮を執り
全国の全機関の水難救助隊が集結した現場だった

お互い

「えっ!? あの時の ○○さん?」
「そうだけど、もしかして 隊長?」

いやぁ~お世話になったというか
命の恩人に再会しちゃいました

決して災害現場を懐かしんでいるわけではない

あんな悲惨な現場を見てきた俺たちにとって
二度と同じ被害を被災者を出してはいけないと
ずっと強く思って来たけれど

その後、二度三度と自然は猛威を振るってきた

人間は地球に対して無力だ

でも、被害に合わない方法を考える知恵と行動力がある

そんな話を隊長としながら
当時の消防の応援体制と、今の緊援隊や広域応援の
制度の充実さを比べ
隣接した消防本部の、お互いのあり方までも話は発展し

あっという間に2時間半の交流会は終了してしまいました。

あれから20年
奥尻の街は復興し、俺達の活動のステージはお互い変わったけれど
島の人達の受けた心の傷は、癒されるものではないし
決して忘れてはいけない災害の記憶と共に
あの現場で活動した俺達にも
後輩の職員に語り継がなければならない義務がある

そんな、あの日と同じ暑い夏が また来るんですね

被害者のご冥福を謹んでお祈り申し上げます