この先にあるもの

公務員卒業
自分の気持ちを最優先に、この先のことは少しづつ考えながら
赴くままに生きてみたい。

2024年2月28日水曜日

こりゃ大変だ!! すぐに振り込まなきゃ

って

なる人っているのかな? と思うけど

実際、毎朝のように新聞には道南の詐欺被害の記事が掲載されている。

100万円 300万円 中には1000万 2000万という高額な被害まで

よくそんなお金あるよな~ って思いながら他人事のように読み流していたけれど

最近俺んとこにも多いんだよなぁ この手のメールが

なにこれ
俺、マスターカード持ってないし
そして、こんなのも

いやいやご利用も何も アメリカンエクスプレスとか見たこともないし

まだまだ凄いのがあるぞ
こんなところから、こんなメールまでくるから驚き

おもしろ過ぎるっしょ これ(笑) 
警察庁から来てるのに、私たちは警視庁です だってよ アホか(爆)

俺の息子、とうとう窃盗までしやがって バカヤロー
子供の為なら1000万や2000万 屁でもねぇ~けど・・・・

俺も高齢者だし いつ騙されてしまうのかわからないし絶対的な自信もない

宛名のないメールは偽物、URLはクリックしない
開封せずに迷惑メールへ直行

おっかねぇ おっかねぇ



2024年2月21日水曜日

災害の支援

消防には、『緊急消防援助隊』という制度がある。

平成7年の阪神淡路大震災で集まった全国各地の消防が

てんでバラバラに活動して最大限の成果を上げることが出来なかったことから

その教訓として創設した。

残念ながら、その2年前に発生していた北海道南西沖地震でも

現地では同じようなことが起きていたのを目の当たりにしている。

にも関わらず、国は動かなかった。

あの時に、緊急消防援助隊制度について検討していれば、阪神淡路の時の混乱は避けられたはずだった。

一方、地方公共団体間の支援については『応急対策職員派遣制度』というものがあるらしいが

これは都道府県単位の制度のようで、市町村からの職員が派遣されるのは都道府県から特別に要請があった場合か政令市に限るようだ。

市町村独自については、その地域の防災計画の中にある『相互応援体制の整備計画』ぐらいが唯一の根拠だと思うが・・・・

おそらくこれも災害対策基本法に基づく上っ面だけのもので、

何々しておくものとする

何々を考慮するものとする

という規定のものが多く、具体的な行動に移せるようなものではない。

何故こんなことを書くのかというと

能登半島地震から8週間

我が北斗市からの被災地への支援活動が全く見えてこないからだ。

やっていないのか、やっていても新聞やテレビが取り上げてくれないのか

いずれにしても市民の目には何も入ってこない。

政令市ではないので対口支援には加われない。それでも独自の支援策を考え

現地に派遣している市町が道内にはたくさんある。

何故 北斗市はしない?

人が足りないとか、支援できるレベルにないとか、

もしかしたら、行っても足手纏いになるだけだから行かない方が良い

という考えの上層部が判断してるとすれば

それは他の市町村と比べるものではないにしても、あまりにも残念過ぎる。

一人でも二人でも現地に派遣して、被災地の支援をしてきてほしい。

どのように被災状況を把握しているのか

受援体制はどのように確保しているのか

応援職員に依頼する業務や人員の割り振りはどうやるのか

ボランティアの受け入れの仕方はどうしているのか

理由もなく動き回る管理職を誰がどのように統制しているのか

避難所の実態とマニュアルとの隔たりはどのようなものか

家屋の被害認定調査は、どの部署が中心に行っているのか

罹災証明書はどうすれば早く発行できるのか

現地に行ってやれることがないなら、やってる人たちの支援をすれば良い

それだけでも災害支援になるはずだし、その経験は必ず北斗市の防災体制や災害マネジメントに役立つものであると信じている。

広報紙にも掲載されない、議会でも質問されない

派遣していないのか、もしくは報道されないだけなのか

何か理由があると思うが、北斗市民の一人として なんだかモヤモヤする。

若い職員が手を挙げているなら、派遣してほしい。


2024年2月13日火曜日

PERFECT DAYS

今日は、病み上がり最初のカヤックフィッシングに行こうと思っていたが

生憎の風と波で断念

そこで以前から気になっていた映画 PERFECT DAYSを観てきた。

直訳では「完璧な日々」

見るものに問いかける作品で

あなたは今幸せですか?

あなたの幸せってなんですか?

あなたにとって今日はどんな意味がありましたか?

「完璧な日」なんてあり得るのだろうか

朝、目を覚まし

ちゃんと朝日が見える ちゃんと波の音が聞こえる

どこも痛くない 全て昨日と同じく動く

そんな朝に始まり、陽が高いうちは働き、暗くなったら寝床で目を閉じる

明日の朝、いつも通り目を覚ますことを信じて


これって当り前じゃない 毎日の目覚める朝は

奇跡の連続のようなものなんだと、病に伏せていた時に痛感していた


俺より少し早く起きる妻の作ってくれた朝食を食べ

車で職場に向かい、一日8時間働いて夕方5時には家路につく毎日

俺にとっての「PERFECT DAYS」なんだと改めて認識する。


久々にいい映画を観た




2024年2月12日月曜日

サロマ   再び

第39回サロマ湖100キロウルトラマラソン

性懲りもなく2019年以来、5年ぶりにエントリーしてしまった。


相棒の足型を確認するために常呂町まで付き合うだけの予定が

どうせサロマまで行くなら、どこまでいけるか走ってみるか?!!

ということになり・・・なりっていうか・・・そうしてしまった。

本当にこれで最後です!!!! ってオッカちゃんにお願いして

20,000円のエントリー料出してもらいました。


病明けで、犬の散歩もままならない状態で100キロなんて

こんな有様じゃ10キロだって走れない。

それなのに何故に100mキロ?


このまま老いていく自分を置き去りにしていくのがイヤなんです。

ひとつずつ確認して納得して諦めていきたい。

これで最後のサロマ 本当に最後です。

ちゃんと感謝と別れを告げてきます。



2024年2月8日木曜日

病抜け

新年になっちまった

もう2月だ

昨年の暮れから体調を崩し

とうとう1月2日には病に伏せ、寝込んでしまった。

風邪の症状から咳が止まらなくなり

その夜には左耳から液体が出てきて、まったく聞こえなくなってしまった。

1月4日 正月明けの耳鼻科で風邪の菌が耳管を通り炎症し

中耳炎と診断され、右耳だけの生活となる。

それから2週間後の1月17日、熱発で39度

一応コロナとインフルの検査をするも、どちらも陰性

ホッと一安心する間もなく、翌日から倦怠感と関節痛で具合が悪くて動けない

更に1月27日

腹痛と下痢、そして嘔吐 仕事を途中で投げ出し帰宅

風邪から来る胃腸炎と診断され、3日間仕事を休むことに・・・・

やっと治りかけた1月29日

なんか腹回りがチクチク、ヒリヒリ針で刺すような痛みがあり

オッカちゃんに見てもらったら

「え~あんたこれ 今テレビでやってる帯状疱疹だよ」

「私、年寄りの何回も見てるからわかるんだよ!! 早く病院行ってこい!!!」

ってことで今度は皮膚科へ

悪い予感が見事的中 帯状疱疹でした。

翌日からとんでもない激痛との戦い、そして食欲不振

お粥とたまご味噌の生活から一週間 体重が一気に5キロも減りました。

新年早々1っカ月以上も病と付き合うこととなり、今何とか食欲も出てきて仕事にも復帰できた。

その間、国内外では様々な痛ましい事件事故災害や争いがあった。

特に能登半島地震については、いろいろと思うところがたくさんある。

この災害に対する北斗市の動きが全く見えてこないのも残念な思いの一つでもある。

そんな中で65歳になる俺の年の始まり

健康に暮らすことが、どれだけ幸せなことか

命の心配をしなくていいことが、どれだけ幸せなことか

普通に職場に行って働けることが、どれだけ幸せなことか

いろいろと身に染みて考えさせられる一年の始まりとなりました。

いろんな人に世話になったし迷惑をかけてしまった。

今年は感謝の気持ちを忘れずに、恩返しと償いの日々を送ることにしよう

私利私欲は捨てられないけれど、それは二の次だ

俺の2024年がやっとこれから始まる。