この先にあるもの

公務員卒業
自分の気持ちを最優先に、この先のことは少しづつ考えながら
赴くままに生きてみたい。

2016年9月7日水曜日

40年前

いい歳こいて 未だに

四輪車 大好き
二輪車 もっと大好き
自分の脚で走るのは   超大好き

夢を叶えられるなら
パリダカに出たい
鈴鹿8耐にも参戦したい
水と食料を背負って サハラ砂漠を
ぶっ倒れるまで走ってみたい

そんなことを考え始めたのは
もう40年も前のことだ

そんな  ある日

あれは やってきた

夏休みが終わり
授業になんか、まるっきり身が入らない
昼休み終了後の 超 眠い時間帯

楽しかった海岸での日々を思い出し
3階の教室の窓から  ボォ~ っと空を眺めていた
俺の頭上を、とんでもない爆音と共に

そいつは やってきた

ミグ25戦闘機


「なによ 今の!!?」
「ジェット機 だ  ジェット機 凄ぇな」

と、一人が騒ぐと、釣られて みんなも騒ぎ出す
典型的な 17歳

とんでもないことが起きそうな予感を察した  俺たち

何事もなかったように授業を進める 教師

「日本の自衛隊機が こんな低空を飛ぶわけないべや」

そんなことぐらい
いくら、はんかくさい俺たちでも 解るさ

俺たちは この無頓着な教師から 何を教わろうっていうんだ?

その日から
津軽海峡は厳戒態勢に入った

親父の   「ロスケ が攻めでくる」  と言った言葉が忘れられない

漁に出ることはできない
今の時代、そんなことが起きるのか?
当時は東西冷戦、そんな時代だった

東西って どごよ?
アメリカとソ連だけだべや

やっぱりはんかくさい17歳は
そんなことぐらいしか、考える知識がなかった

親父たちの世代は 旧ソ連のことを ロスケ って呼んでた
ロシアの人達 ゴメンなさいm(__)m
今は、そんな呼び方する日本人はいませんよ

日本人が ジャップ と呼ばれていたのと同じです

40年前
そんな遠い昔の話ではない








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