この先にあるもの

公務員卒業
自分の気持ちを最優先に、この先のことは少しづつ考えながら
赴くままに生きてみたい。

2016年3月28日月曜日

祝 北海道新幹線開業

2016年 3月26日

北海道民が待ちに待った新幹線が
ついに繋がった

北海道から九州まで
新しい幹線で一つになった

感動です!!
ワクワク感が っぱないっす

昭和29年、俺が生まれる5年前に
日本の海難事故史上最悪の事態が起きた
洞爺丸が管内 七重浜沖で沈没
1000人以上の命を この海は呑み込んだ

消防に入った時
当時救助(遺体収容)にあたった先輩や上司から
その時の様子を聞いたことがあった

「今でも、遺体の顔が夢に出てくる時がある」

当時はまだPTSDという概念はなかった

消防は筋肉と根性でなんでも乗り越えられる
そう思われていた時代だ
大変な苦労をしたと思う

その洞爺丸の事故が
青函トンネル構想のキッカケとなった

「安全に、この海を渡りたい」

青函トンネルが開通したのは
洞爺丸から29年後の昭和58年
俺が東京から帰ってきた年だ

そして、開通から33年
洞爺丸事故から62年の歳月を経て

政治家の発言で
新幹線計画は白紙になったり復活したり

北海道に新幹線なんて来るんだべが?

なんとなくボヤァ~とした
新幹線に対する気持ちが

近くの山でトンネルが掘られている
田んぼの真ん中に高架橋ができてきた
ネギ畑の場所にデカい駅が建った
JR北海道は大丈夫なのか?

そして
消防は対応を考えているのか?

にわかに周りが騒ぎ始めてきて
俺たちも、危機感を持って対応を考えて来た

開業の喜びの一方で
俺たち消防は、住民の生命身体だけではなく
更に乗客の生命身体を守るという
対象人口が増加するわけで
手放しで開業お祝いムードに浸っている状況ではない

新幹線の開業効果は
安心、安全があってこその発展だ

開業前のできる限りの準備はしてきた
開業後も、更に改善、見直し、強化を図っていくことになる

そんな中で迎えた 3月26日
朝早く起きて、6時35分新函館北斗駅発、東京行きの
めでたい一番列車を写真に収めようとオッかちゃんと
近くのトンネル入り口付近に行ってきた

撮影成功!!

別に「撮り鉄」でも
何でもないけど

盛り上がりに便乗









そして
その後、新函館北斗駅へ













昨日まで
もしかしたら人が集まらなくて
閑散としてたらどうしよう・・・・

なんていう
俺の心配は
どうやら杞憂だったようだ

凄い盛況ぶりです






よさこい が演じられたり














郷土芸能の

上磯奴が披露されたり

















函館はやぶさPR隊も

あちこちで
会場を盛り上げていました

注目の的だったんですね

地元の誰もが
開業を喜び、期待している
これからの北斗市




駅からは
函館山が正面に見える・・・・

でも、本当は・・・・
ここは一大商業地域になる予定だった

来年には
左側にホテルが完成予定で
既に工事は始まっている

今よりもっと駅前通りらしくなるかな



消防も警戒本部を設置して
開業イベントの安全を確保

ちょうど引き継ぎの時だった

土曜日曜は、特別異常はなかったようだ

差し入れに3千円も使っちまった(≧▽≦)

お疲れさん





そして そして
新函館北斗駅に行った目的の一つ

ケンシロウの銅像を見る

「北斗市ならもちろん北斗の拳でしょう」と
武論尊さんが開幕式の時に挨拶してくれました

ケンシロウ
俺の秘孔も突いてくれぇ











松島基地第4航空団第11飛行隊
の皆さん

よく来てくれました

新幹線は国家事業であることが
解ります






ブルーインパルスを実際に見たのは
初めてでした











ただただ圧倒され
鳥肌が起ち

生まれ変わったら
航空自衛隊に入ろうと

誓いました







まるでトップガン

マーヴェリックのドッグファイトみたいだ











これをカッコイイと言わずに

何を持ってカッコいいというんだ?


男なら血が騒ぐ
男なら憧れる大空への夢

あぁ無線交信聞いてみたいなぁ





いやぁ
興奮冷めやらぬって このことか

ブルーインパルス

最高でした!!



歴史的な出来事を
在職中に経験できたことは
とても感慨深く

これから変わっていく街の安全を
しっかりと守っていかなければならないと

覚悟を新たにしました

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