この先にあるもの

公務員卒業
自分の気持ちを最優先に、この先のことは少しづつ考えながら
赴くままに生きてみたい。

2017年12月8日金曜日

飢餓海峡

水上勉の小説、映画にもなった
どこか、ストーリーの柱がアラン・ドロンの「太陽がいっぱい」
にも似た内容だったような気がする

俺の愛する目の前の海が物語の舞台と知って
当時のレンタルビデオ(DVDやブルーレイじゃない・・・VHSビデオだ)
で見たことがある

戦後の日本、その時代の差別と社会の裏側が根底にある
なんだか暗ぁ~い感じの映画だったけど
実際にあった洞爺丸台風の事故や岩内の大火が題材だと
後から知った

世の中を斜めにしか見ていない30歳を目前にした若造の俺には
単純に、「悪いことをしたら、いつかはバレるんだなぁ」
ぐらいにしか受取れなかった、感受性の乏しい 俺

実はこの映画には、深ぁ~い意味があって
結局、真相は闇なんだけどね
見る者、読む者に問いかける作品って沢山あるけど
あれから30年経っても、俺は未だにその答えを見出せないでいる

石川さゆりも 同じ曲名の唄を歌っていて
もちろん、この映画の主題歌ではないし、聞いたこともないけど
歌詞からして、この小説のことだということは解る

濃いでも漕いでも 戻る岸ない 飢餓海峡
濃いでも漕いでも 戻る道ない 飢餓海峡
濃いでも漕いでも たどる岸ない 飢餓海峡

そして、飽食の時代を迎えた日本人
腹いっぱい食べることができるし
残ったら捨ててしまう時代
食べることができている謝恩はいつの間にか消えた  シアワセモノ

でも、そうじゃない人たちが
今も、この海の向こう側にいる










命を懸けて漁に出る海の男たち
それは、どこの国の漁師も同じ血気を持ち
熱意と気迫は漁師のプライドとして胸に秘めて
漁に出るものなんだと・・・
彼の国の漁師だって 海の男は みんな同じ想いだと思う

ただ、
命を懸けてとは、命と引き換えに ではない

荒海を渡るのは自分たちの意志ではなく
ノルマを与えられ、達成できずに帰ってくることは
国賊だと植え付けられた主権のない国民であって
基本的な人権さえ無視された、鉄砲玉だ

相次いで漂着している小型の木造漁船
与えられた装備は、冬の荒れた日本海を渡れるような漁船ではないことは一目瞭然
船底にコンパネを張った、平らな形状の漁船なんて見たことがない
明らかに海仕様の船ではないことは
素人の俺でも解る

国民の命や飢餓を犠牲にして成り立つ国家など
そもそも国として体をなしていない

映画の飢餓海峡とは違う意味での飢餓が
今、この海にはある









そんなことを考えながら
今度の日曜日

もう一度 「飢餓海峡」 見てみようかな



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