この先にあるもの

公務員卒業
自分の気持ちを最優先に、この先のことは少しづつ考えながら
赴くままに生きてみたい。

2014年6月3日火曜日

夏い!!

いやぁ~北海道は 夏い!!

なんたって本州よりも暑いんだから 驚きだわ

先週の金曜日は
隣の市消防本部のみなさんとのナイトミーティングがありました

当消防本部から15名
隣市消防本部からは16名
総勢31名によるビッグな交流会でした。

そこでサプライズな再会がありました。
忘れもしない、平成5年7月12日
北海道南西沖地震により奥尻島青苗地区が
大津波に飲み込まれてしまった。

召集により消防で夜を明かした俺たちの目に飛び込んできたのは
現実とは思えないほどの青苗の惨状

「津波に襲われたのに火災が発生?」

当時、まだ地震や津波の知識が薄かった俺にとって
頭を整理できない状況にあったけれど

追い打ちをかけるように
更に整理できない情報が俺に入って来た

「函館消防の水難救助隊と一緒に、お前行って来い!!」

「はぁ!? 俺、水難救助隊じゃないっすよ?」
「第一 うちの消防に水難救助隊なんて ないし・・・・」

次の日の夜 俺は消防長からの至上命令により
初めて、北海道広域消防相互応援による派遣隊員になっていました

その時の水難隊長に交流会で再会

お互いに、なんか見たことある顔だなぁという感じで
酒の席は進んで行ったけれど
3.11の話になり、更には1.17  そして7.12の話題へと

当時は、まだ緊急消防援助隊という制度はなく
東京消防庁の水難隊や警視庁の水難隊も応援にきてくれて
海保と海自が指揮を執り
全国の全機関の水難救助隊が集結した現場だった

お互い

「えっ!? あの時の ○○さん?」
「そうだけど、もしかして 隊長?」

いやぁ~お世話になったというか
命の恩人に再会しちゃいました

決して災害現場を懐かしんでいるわけではない

あんな悲惨な現場を見てきた俺たちにとって
二度と同じ被害を被災者を出してはいけないと
ずっと強く思って来たけれど

その後、二度三度と自然は猛威を振るってきた

人間は地球に対して無力だ

でも、被害に合わない方法を考える知恵と行動力がある

そんな話を隊長としながら
当時の消防の応援体制と、今の緊援隊や広域応援の
制度の充実さを比べ
隣接した消防本部の、お互いのあり方までも話は発展し

あっという間に2時間半の交流会は終了してしまいました。

あれから20年
奥尻の街は復興し、俺達の活動のステージはお互い変わったけれど
島の人達の受けた心の傷は、癒されるものではないし
決して忘れてはいけない災害の記憶と共に
あの現場で活動した俺達にも
後輩の職員に語り継がなければならない義務がある

そんな、あの日と同じ暑い夏が また来るんですね

被害者のご冥福を謹んでお祈り申し上げます








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